お笑いコンビ「オアシズ」のツッコミ担当として活躍する大久保佳代子さん。
40代でのブレイクという異例の経歴を持ち、今なお多くのバラエティ番組で欠かせない存在となっています。
しかし、そんな彼女がどこで生まれ育ち、どのような道のりを経て現在の地位を築いたのか、詳しく知らない方も多いのではないでしょうか。
今回は、大久保佳代子さんの出身地や生い立ち、そして15年間のOL生活を経てブレイクするまでの波乱万丈なエピソードを詳しくご紹介します。
果たして、大久保佳代子さんどのような道を歩んできたのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
大久保佳代子の出身地はどこ?

大久保佳代子さんの出身地はどこなのでしょうか?
大久保佳代子さんは、1971年5月12日に愛知県渥美郡田原町(現在の田原市)で生まれました。
引用:Wikipedia
田原市は愛知県の渥美半島に位置する、自然豊かな地方都市です。
地元の学校で過ごした青春時代
地元の田原町立田原中部小学校、田原町立田原中学校を経て、愛知県立成章高等学校に進学。
小学校時代には合唱部に所属していたという一面も持っています。
この成章高校で、後に相方となる光浦靖子さんと運命的な出会いを果たすことになるのです。
江戸時代から続く名家の出身
興味深いことに、大久保さんの父方の家系は江戸時代から田原市に住んでおり、高祖父である甫吉さんは地元のリーダーとして田原市周辺の土地を開墾した人物だったそうです。
歴史ある家系の出身であることがわかります。
大久保佳代子の生い立ち

大久保佳代子さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
調べてみると、次のような生い立ちであることが判りました。
裕福ではなかった家庭環境
大久保さんの家族構成は、両親と3歳年上の兄の4人家族。
父親は中学卒業後すぐに働きに出た製造業の会社員で、母親はスーパーでパートをしていました。
決して裕福な家庭ではなく、母親はかなりの節約家だったといいます。
本人も後に「我が家は決して裕福な家庭ではありませんでした」と振り返っており、子供会のクリスマス会での出来事は今でも忘れられないと語っています。
我が家は決して裕福な家庭ではありませんでした。
今でも忘れられないのが子供会のクリスマスパーティーのプレゼント交換。
みんなが用意したプレゼントは『サンリオ』の可愛い鉛筆やハンカチだったのに、私のプレゼントだけは母が「安くて大きい」という理由だけで選んだ『ナビスコ』のビスケットで。引用:集英社学芸部
そろばんの才能を発揮
習い事としてそろばんに通っていた大久保さんは、渥美半島で暗算3位になるほどの実力を持っていました。
この計算能力の高さは、後のOL生活でも役立つことになります。
高校時代の光浦靖子との出会い
愛知県立成章高等学校に入学した大久保さんは、そこで同じ田原町出身の光浦靖子さんと出会います。
二人はお笑い好きという共通点で意気投合し、高校時代から交友を深めていきました。
千葉大学への進学
高校卒業後、大久保さんは千葉大学文学部文学科に進学します。
一方、光浦さんは東京外国語大学に進学。
二人とも関東の大学に進んだことで、お笑いコンビ結成への道が開けることになります。
大学在学中の1992年、二人は「オアシズ」を結成し、プロダクション人力舎に所属することになりました。
私がお笑い好きだと知っている光浦さんから「大学を問わず参加できる他大学のお笑いサークルがあるから一緒に入ろう」という連絡があり、誘われるままにやり始めたんです。その時点でも自分が芸人になるとは思っていませんでしたが、大学4年のときに出演したお笑いオーディションに合格して、そのまま芸能事務所に所属することになりました。
引用:千葉大学
大久保佳代子のブレイクまでのエピソード

大久保佳代子さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか。
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
芸人とOLの二重生活がスタート
1992年にオアシズとしてデビューしたものの、当初はなかなか芽が出ませんでした。
大学卒業後、大久保さんは会社員として就職し、テレアポ(テレフォンアポインター)の仕事を始めます。
こうして15年間にわたる芸人とOLの二重生活が始まったのです。
『新しい波』から『めちゃイケ』へ
1993年には深夜バラエティ番組「新しい波」に出演し、徐々に知名度を上げていきました。
そして2000年、大久保さん29歳の時に大きな転機が訪れます。
当時既に光浦さんがレギュラー出演していた「めちゃ×2イケてるッ!」に、「光浦の相方で現在OL」という売り文句で新レギュラーとして加入したのです。
OLという武器
当時の大久保さんは「OLっていうのはすごい武器で、”ちょっとOLなんでわからないです”という逃げ道があった」と後に語っています。
人気番組のレギュラーになってもOLの仕事を続けるという二足の草鞋は、彼女の独特なキャラクターを形成する要素となりました。
ブレイクのきっかけ
転機は40歳を迎えた頃に訪れます。
2010年頃から仕事が順調に回り始め、会社を休職。そして2013年、42歳の時に大ブレイクを果たします。
この年、大久保さんはORICON STYLEが実施した「2013年最もブレイクしたタレント」ランキングで見事1位に選ばれました。
見事1位に輝いたのは、リアルな“アラフォー女性”の生きざまを体現し、大ブレイク中のオアシズ【大久保佳代子】。
引用:ORICON NEWS
ブレイクの理由は「本音トーク」
芸歴21年目にして迎えた大ブレイク。
その理由は、リアルなアラフォー女性の生きざまを体現した本音のトークでした。
下ネタや性欲の強さをネタにする潔さ、そして等身大の40代女性としての的確なコメントが、男女ともに幅広い支持を集めたのです。
本人は後に「37~38歳くらいから仕事が増え始めたので、今は親も安心していると思います」と語っています。
長年の苦労が報われた瞬間でした。
37~38歳くらいから仕事が増え始めたので、今は親も安心していると思います。
引用:CREA
ある芸人の言葉が転機に
大久保さん自身は、ブレイクのきっかけについてこう語っています。
「ある芸人の言葉で、”あれ、いけるかなこの先”ってちょっと思った」。
自分を客観視できるようになったことが、40代でのブレイクにつながったと分析しています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
大久保佳代子さんの出身地は愛知県田原市。
江戸時代から続く家系に生まれながらも、決して裕福ではない家庭で育ち、地元の学校を経て千葉大学に進学しました。
1992年にオアシズを結成後も、15年間という長きにわたってOLと芸人の二重生活を続け、2000年に「めちゃイケ」のレギュラーに。
そして42歳という異例の年齢で大ブレイクを果たし、2013年には「最もブレイクしたタレント」1位に選ばれました。
現在54歳となった大久保さんは、多数のレギュラー番組を持ち、バラエティ番組に欠かせない存在として活躍を続けています。
遅咲きながらも、諦めずに努力を重ねた結果が実を結んだ、まさに「女は40歳から」を体現する芸能人と言えるでしょう。
それではありがとうございました。

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