お笑いコンビ「バイきんぐ」のメンバーとして知られる小峠英二さん。
「なんて日だ!」という叫びのフレーズが印象的な小峠英二さんですが、彼の故郷でどのように育ってきたのか気になりますよね。
また、故郷での興味深いエピソードがあるのでしょうか?
そこで今回は小峠英二さんが故郷でどのように育ってきたのかをリサーチしてみました。
すると、大変興味深いエピソードもあったので最後まで楽しみながら読んでください。
小峠英二の出身地は?

小峠英二さんの出身地はどこなのでしょうか?
小峠英二さんは、福岡県田川郡大任町の出身です。
1976年6月6日生まれの小峠さんは、大任町で育ち、福岡県立東鷹(とうよう)高等学校を卒業しました。
出身地 福岡県田川郡大任町
引用:芸歴.net
故郷での育ちとエピソード

それでは、小峠英二さん故郷でどのような成長や体験をしてきたのでしょうか。
そのエピソードをご紹介していきます。
大任町から芸人への道
小峠さんが芸人を目指し始めたのは高校生の時でした。
高校2年生の時に「芸人になるため学校をやめる」と担任に告げたところ、「ダメだったとき戻ってこられるよう、籍だけは置いておけ」と言われ、高校を休んで大阪へ行きました。
しかし吉本総合芸能学院(NSC)には入れなかったため、高校に戻り留年しています。
先生に『休学ならいい。お笑いがダメだったら戻ってこい』と諭されて。NSCの試験を受けたけどダメだったので、翌春に高2からやり直しました。その先生にはすごく世話になりました。
引用:exciteニュース
パンクバンド活動
中高生時代はパンク・ロックに傾倒し、「アンダー・ザ・チェーンドッグ」と名付けたパンクバンドを結成して、ギターやボーカルを担当していました。
バンド活動時は「小峠ナターシャ」という名前を使用していたそうです。
最近のテレビ番組では、小峠さんが親友の相葉雅紀さん(嵐)を故郷に連れて帰り、高校時代の同級生「トマホーク池内」さんら当時のバンド仲間と30年ぶりに再会し、ライブハウスでパンクバンドを再結成するという企画も放送されました。
小峠さんがパンク全開で熱唱する姿に、相葉さんも感激していたようです。
実は、高校時代にパンクバンドを組んでいた小峠さん。当時のバンド仲間の1人、その名も「トマホーク池内」さん。
引用:めざましmedia
地元での野球経験
中学時代は野球部に所属していたものの、3年間ずっと補欠でした。
このことが影響してか、野球経験者でありながら一度も試合を観戦したことがなく、相方の西村瑞樹さん(広島東洋カープのファン)とは対照的に、野球に関する興味が薄いようです。
斉藤が中学生時代に野球部に所属していたが3年間補欠だったことを明かすと、小峠も「僕も全く一緒」と同調。
引用:サンスポ
トークショー「なんて素晴らしい日だ!?」
2015年2月21日、田川市の田川文化センターで小峠さんの地元凱旋トークショー「なんて素晴らしい日だ!?」が開催されました。
このイベントでは、メディアでは語られない少年時代のエピソードや田川での面白いエピソードが語られました。
田川文化センターは「田川から夢を叶えた小峠さん」として、地元の子どもたちの夢の実現を応援するために企画したとのことです。
田川から夢を叶えた小峠さん。 そんな小峠さんに直接お話すること、そして自分の夢をステージ上で言葉にすることが、子供たち自身の夢実現へのエネルギー源になればと願いを込めて企画致しました。
引用:田川文化センター
母校訪問
2024年には、小峠さんが親友の相葉雅紀さんを連れて母校の小学校を訪問する様子が番組で放送されました。
全校生徒が約100人の小さな小学校に突然現れた相葉さんに、生徒や保護者たちは大喜び。
小峠さんは「20歳まで過ごした地元に相葉くんがいるのが新鮮」と語り、懐かしい校歌を全員で歌うなど、故郷での思い出を新たに作りました。
小峠さんが相葉さんを連れて母校の小学校に凱旋(がいせん)。
引用:めざましmedia
まとめ
いかがだったでしょうか?
お笑い芸人・小峠英二さんは福岡県田川郡大任町出身で、地元では野球部の補欠経験やパンクバンド活動など、テレビではあまり語られない青春時代を過ごしました。
芸人を目指して一度は大阪に向かったものの、すぐに戻り高校を卒業。その後、キングオブコント2012での優勝など、苦節16年を経て成功を収めました。
現在は故郷・大任町の誇りとして、地元凱旋イベントやテレビ番組での故郷訪問を通して、地元の子どもたちに夢を持つことの大切さを伝えています。
パンク少年から人気お笑い芸人へと成長した小峠さんの歩みは、地方出身者にとっての励みとなる素晴らしいストーリーと言えるでしょう。
これからも小峠英二さんの更なる活躍を期待したいですね!
それではありがとうございました。
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