「ヤー!パワー!」の掛け声とともに腕の筋肉に話しかける独特のパフォーマンスで知られる「なかやまきんに君」。
近年、Z世代を中心に人気を集め、再ブレイクを果たした彼の出身地や生い立ち、そしてブレイクするまでの道のりについて徹底リサーチしました。
筋肉と笑いで人々を魅了する彼の知られざるストーリーをお届けします!
果たして、なかやまきんに君はどんな道を歩んできたのでしょうか。
最後までゆっくりと読んでください。
なかやまきんに君の出身地は?

なかやまきんに君の出身地はいったいどこなのでしょうか。
なかやまきんに君(本名:中山翔二)は、1978年9月17日生まれの福岡県福岡市東区出身です。
現在46歳(2025年5月時点)のAB型、おとめ座の持ち主です。
福岡市東区で生まれ育ったきんに君は、地元の和白東小学校、和白丘中学校を経て、福岡工業大学附属高校(現:福岡工業大学附属城東高等学校)に進学しました。
福岡の地で育った彼は、のちに関西へと活動の場を移し、吉本興業のタレント養成所NSC大阪校22期生として2000年にデビューすることになります。
幼少期から健康と地球環境に高い関心を持っていたというきんに君。
小学生の頃から「野菜を食べることは大事」と考えるなど、健康意識が高い子どもだったそうです。
この健康への興味が、後の筋肉芸人としての個性を形作る原点となったのかもしれません。
なかやまきんに君の生い立ち
ところで、なかやまきんに君のの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
なかやまきんに君は幼少期から非常に活発な子どもで、外で遊ぶことが大好きだったといいます。
特に印象的なのは、小さい頃からお笑いに夢中になり、友達とコンビを組んでミニコントを披露していたというエピソード。
この時からすでに、エンターテイナーとしての才能の片鱗が見えていたのかもしれません。
・小学校時代、友人とコお笑いンビを結成。
休み時間に誰も突っ込まないしボケっぱなしのコントをやっていた。
・小学校時代、あだなは「クチビルおばけ」(唇が大きめで分厚いので)。
引用:PASONICA JPN
学生時代は運動が得意で、中学・高校時代にはバスケットボール部に所属し、主力選手として活躍していました。
実は当時から筋肉質な体格だったものの、ボディビルよりもバスケットボールに熱中していたそうです。
中学1年生の時には、小学1年生から好きだった女の子に告白して交際するという、早熟なエピソードも。
しかし、「何をしていいか分からなかった」と本人が語るように、純粋な少年時代を過ごしていたことがうかがえます。
高校時代には福岡の香椎にあるLBGYMで筋トレを始めました。
これが、後の「筋肉芸人」としての道を歩むきっかけとなったのです。
17歳で筋トレを始めた頃から、すでにアメリカへの憧れを抱いていたといいます。
なかやまきんに君がブレイクするまでのエピソード
なかやまきんに君がブレイクするまでのエピソードはどんなエピソードがあるのでしょうか。
リサーチしてみると次のようなエピソードがありました。
デビューから苦難の時代へ
2000年、吉本興業のタレント養成所NSC大阪校22期生として、22歳でピン芸人としてデビューしたなかやまきんに君。
デビュー当初から「ヤー!パワー!」と叫びながら、筋肉を使ったギャグを披露するスタイルを貫いていました。
デビュー後は吉本新喜劇にも入団し、舞台経験を積み重ねていきます。
しかし、芸人としての道は決して平坦ではありませんでした。
デビュー時から一貫して筋肉ギャグを続けていましたが、当時はあまり注目されず、「一発屋」とも呼ばれる時代もありました。
アメリカへの「筋肉留学」
2006年、芸能活動を一時休止し、憧れの地アメリカ・ロサンゼルスへ「筋肉留学」を決意します。
この決断は、自分の可能性を広げるための大きな挑戦でした。
ロサンゼルスでの生活は決して楽ではなかったものの、2007年にはサンタモニカで全編英語の単独公演を行うなど、海外でも自分の芸を披露。
さらに2009年にはサンタモニカカレッジに入学し、運動生理学を学びました。
2006年〜2011年まで、アメリカ・ロサンゼルスへ筋肉留学を経験。
引用:なかやまきんに君.com
2011年に同大学を卒業するまでの約4年半、アメリカでの生活を送りながら、筋肉と英語と学問を極めたのです。
このアメリカ留学時代に培った経験と知識は、後のきんに君の活動における強みとなりました。
単なる「筋肉芸人」ではなく、専門的な知識を持つボディビルダーとしての信頼性を獲得したのです。
再ブレイクへの道
日本に帰国後も地道に活動を続けるなかやまきんに君。しかし、大きなブレイクには至りませんでした。
転機が訪れたのは2021年頃。NHK福岡放送局の一橋忠之アナウンサーが、きんに君が一日署長を務めた映像で「パワー!」と言った様子を紹介したことが話題になります。
この出来事が彼の再ブレイクのきっかけとなったといわれています。
VTRが終わり、スタジオに画面が切り替わると、キャスターを務めるスタジオの一橋アナに異変が。きんに君の“筋肉ギャグ”はややすべり気味だったが、一橋アナのツボにははまったようで笑いがこらえ切れないといった表情の中、必死に「次です」とコメント。
2021年末に吉本興業を退社し、自身が代表取締役を務める個人事務所「333(ササミ)」を設立。
独立後、YouTube活動にも力を入れ、チャンネル登録者数は急増。2022年には代名詞の「ヤー!パワー!」が新語・流行語大賞にノミネートされ、「Z世代トレンドアワード2022」の年間大賞も受賞しました。
時代が追いついた筋肉パフォーマー
なかやまきんに君の再ブレイクについて、多くのメディアは「時代が追いついた」と表現します。
デビュー当初から24年間、一貫して「ヤー!」「パワー!」というシンプルな芸風を貫いてきた彼。
その真摯な姿勢と筋肉への愛が、SNS時代になって若い世代に響いたのです。
YouTubeを主戦場にして、筋トレガチ勢を巻き込んで結果を残しているのは、それだけきんに君がひたむきに筋肉に向き合ってきた証拠だろう。もしかすると、ようやく時代がなかやまきんに君に追いついてきたのかもしれない。
引用:ORICON NEWS
特にZ世代からの人気は絶大で、筋トレブームや健康志向の高まりとも相まって、なかやまきんに君の存在感はますます大きくなっています。
プロテインのプロデュースやイベント出演、さらにはドラマ主演など、活動の幅も広がっています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
福岡生まれのなかやまきんに君は、幼少期からお笑いと運動に親しみ、高校時代に始めた筋トレがきっかけで「筋肉芸人」の道を歩み始めました。
2000年のデビュー以来、一貫して「ヤー!パワー!」の筋肉ギャグを貫き通し、アメリカへの「筋肉留学」を経て専門知識も身につけました。
一時は「一発屋」とも呼ばれた彼ですが、真摯に筋肉と向き合い続けた結果、2021年頃から再ブレイクを果たし、現在はZ世代を中心に絶大な人気を誇っています。
「結果を求めずにやり続けた」と語るなかやまきんに君の姿勢は、どんな時代でも普遍的な成功の鍵なのかもしれません。
彼の言葉を借りれば、「健康のためなら死んでもいい」という徹底した姿勢が、結果的に多くの人の心を掴んだのでしょう。
これからもなかやまきんに君の活躍から目が離せませんね。
それではありがとうございました。
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