現在の日本の音楽シーンで最も注目されているシンガーソングライター、あいみょん。
兵庫県西宮市出身の彼女は、「マリーゴールド」や「裸の心」などの楽曲で多くの人の心を掴み、紅白歌合戦にも初出場を果たしました。
しかし、彼女がどのような環境で育ち、どのようにしてブレイクを果たしたのかについて詳しく知る人は意外と少ないのではないでしょうか。
今回は、あいみょんの出身地や生い立ち、そしてブレイクまでの軌跡を詳しく紹介していきます。
果たして、あいみょんはどのような道を歩んで来たのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
あいみょん(森井愛美)の出身地はどこ?

あいみょん(森井愛美さん)の出身地はどこなのでしょうか。
あいみょんの出身地は兵庫県西宮市です。
1995年3月6日に生まれ、現在30歳(2024年8月時点)となっています。
本名は森井愛美(もりい あいみ)で、中学時代から呼ばれていた「あいみょん」というあだ名がそのまま芸名となりました。
西宮市は兵庫県南東部に位置する中核市で、大阪と神戸の中間に位置する住宅都市として知られています。
あいみょんはここで大家族の一員として育ちました。
なんと、6人兄弟の次女という大家族の出身なのです。
家族構成は「姉・あいみょん・妹・弟・弟・弟」で、女性3人は年子という賑やかな環境でした。
興味深いのは、あいみょんが音楽の道に進むきっかけが家族にあったことです。
お父さんは音響の仕事(PA)をしており、小さい頃からお父さんのバンドを観に行ったり、自然と音楽に触れる機会が多かったそうです。
特に浜田省吾を好きになったのもお父さんの影響で、後の楽曲制作にも大きな影響を与えることになります。
あいみょんの生い立ち
あいみょんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
あいみょんの音楽人生において最も重要な転機となったのは、中学3年生の時の出来事でした。
学校に来ていたALT(Assistant Language Teacher)の英語教師「ブレント」が帰国する際に、YAMAHAのアコースティックギターを譲り受けたことがきっかけとなります。
あいみょん自身も「10代で一番大きかった出来事はブレントからギターをもらったことだと言い切れる」と語っており、この出来事なしには現在のあいみょんは存在しなかったでしょう。
ギターを手にしたあいみょんは、独学で作詞・作曲を始めました。
中学時代は陸上競技部に所属し副部長も務めていたという意外な一面もありましたが、音楽への情熱は日増しに強くなっていきました。
高校時代には西宮南高校に進学しましたが、勉強嫌いと人格が変わったことから友達が減り、2年で中退してしまいます。
その後、編入した県内の高校で卒業を迎えることになります。
この時期の経験は、後の楽曲「19歳になりたくない」などに色濃く反映されているとされています。
音楽面では、小学校4年生頃から大塚愛やORANGE RANGEなどの楽曲を聴き始め、初めて自分で買ったCDはORANGE RANGEだったそうです。
また、テレビの懐メロランキング番組を見て「いいな」と思った曲をメモし、お父さんにCDを作ってもらうという微笑ましいエピソードもあります。
あいみょんのブレイクまでのエピソード
あいみょんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか。
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
デビューへの道のり
あいみょんのデビューへの道のりは、現代らしいきっかけから始まりました。
18歳の夏、同級生がやっていたYouTubeの音楽番組を事務所の方が見ていて声をかけられたのがきっかけでした。
高校卒業後、音楽の専門学校に入学した友人が「ミニライブをやりたい」とあいみょんを誘い、カバー曲など3曲ほどを歌ったことから、音楽業界との接点が生まれました。
2015年3月、タワレコ限定シングル「貴方解剖純愛歌~死ね~」でインディーズデビューを果たし、オリコンインディーズチャートTOP10入りという華々しいスタートを切りました。
そして2016年11月30日、ワーナーミュージック・ジャパン内レーベル「unBORDE」よりシングル「生きていたんだよな」でメジャーデビューを果たします。
この日は現在でも「あいみょんの日」としてファンに親しまれています。
真のブレイクの訪れ
真のブレイクは2018年に訪れました。
音楽ジャーナリストの柴那典氏によると、あいみょんは「ストリーミングサービスから出てきた最初のスター」なのです。
特に楽曲「マリーゴールド」がブレイクのきっかけとなりました。
興味深いのは、リリース時点のオリコンCDランキングは25位と決して上位ではなかったにも関わらず、SpotifyやApple MusicなどのストリーミングサービスのチャートでTOP3に入り続け、そこから火がついたことです。
「マリーゴールド」にはタイアップがついていなかったにも関わらず、純粋に楽曲の良さだけでストリーミングサービスでヒットし、その後テレビ出演などにつながったのです。
2018年の『ミュージックステーション』での紹介VTRも「Apple Musicのランキングで上位になり注目!」という煽り文句だったことからも、ストリーミングサービスがブレイクの決め手になったことがわかります。
柴那典氏は、あいみょンがブレイクした理由として、「ポストミスチル(Mr.Children)」「ポストスピッツ」としての位置づけを挙げています。
浜田省吾の影響を受けたソングライターであり、田中ユウスケ氏によるサウンドプロデュースによってモダナイズされた楽曲が、まさにミスチルやスピッツと同じ構造を持っているのです。
その後の活躍
2018年末には『第69回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、「マリーゴールド」を歌唱しました。
2019年には「Billboard 2019年年間TOP ARTISTS」を獲得し、「オリコン年間ストリーミングランキング 2019」でも1位を記録し、「2019年1番聴かれたアーティスト」となりました。
まとめ
いかがだったでしょうか?
あいみょんの出身地である兵庫県西宮市での大家族での成長、音楽一家での環境、そして中学3年生の時にALTの先生からもらったギターがきっかけとなった音楽人生のスタート。
これらすべてが現在のあいみょんを形作る重要な要素となっています。
特に注目すべきは、彼女のブレイクが従来の音楽業界の常識を覆すものだったことです。
タイアップやテレビ出演ではなく、ストリーミングサービスでの再生回数から火がついたという点は、音楽業界の新しい時代の象徴ともいえるでしょう。
浜田省吾からミスチル、スピッツ、そしてあいみょんへと続く日本のポップスの系譜の中で、彼女は確実に新しい章を刻んでいます。
兵庫県西宮市出身の森井愛美という一人の女性が、どのようにして日本を代表するシンガーソングライターとなったのか。
その軌跡は、多くの人に夢と希望を与える物語といえるでしょう。
現在でも年間400曲以上のストックを持つというあいみょん。
これからも彼女の音楽がどのように進化していくのか、多くのファンが注目し続けることでしょう。
それではありがとうございました。
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