お笑いコンビ「千鳥」のボケ担当として人気を博している大悟さん。
テレビで見せる独特の話術と岡山弁のイントネーションで多くの人を魅了していますが、彼がどのような環境で育ち、どのようにして芸人になったのか、そして全国区の人気者になるまでの道のりを知っている人は意外と少ないかもしれません。
今回は、千鳥・大悟さんの出身地から生い立ち、そしてブレイクするまでのエピソードをご紹介します。
果たして、大悟さんはブレイクまでどのような軌跡を辿ったのでしょうか。
最後までゆっくりと読んでくださいね。
大悟の出身地

千鳥の大悟さんの出身地はどこなのでしょうか?
千鳥の大悟さん(本名:山本大悟)は、1980年3月25日、岡山県笠岡市北木島(きたぎしま)で生まれました。
笠岡諸島最大の島で、人口は約960人(H26.9)、お笑い芸人「千鳥」の大悟の出身地として近年認知されつつあります。
引用:笠岡市観光協会
北木島は笠岡諸島の中で最大の島で、瀬戸内海に浮かぶ人口約960人(2014年時点)の小さな島です。
北木島は「石の島」として知られており、その歴史ある採石業が特徴です。
島の荒々しい採石跡が島の歴史を物語っています。
現在では、お笑い芸人「千鳥」の大悟さんの出身地として認知されるようになり、島内の飲食店にはサインが並んでいるそうです。
また、2024年には「石の島」として日本遺産にも認定されました。
この島の特徴として、大悟さん自身が語るように、当時は信号機がなく、学校で横断歩道の渡り方を習ったにもかかわらず、実際に渡る機会がないという環境でした。
コンビニもバスやタクシーもない、まさに「何もない島」で育ったと大悟さんは振り返っています。
何もない島で育ったからこそ、そのすごさを感じた。それで自分自身が頑張って、そういう存在になりたいと思いました。
引用:産経新聞
大悟の生い立ち

大悟さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
大悟さんは北木島という自然豊かな環境で幼少期を過ごしました。
島での生活は不便なことも多かったものの、人々との深い絆やコミュニティの重要性を学ぶ大切な時間でもあったようです。
高校時代は島を離れ、岡山県立笠岡商業高等学校に進学しました。
この高校で運命的な出会いがあります。
それが相方となるノブさん(本名:川島省吾)との出会いです。
岡山県井原市出身のノブさんとは、高校のソフトボール大会で意気投合したといいます。
大悟さんは「ソフトボール大会で、ふざけてバットをスイングするノブを見て、『こいつと仲良くなりたい』と思った」と語っています。
県立笠岡商業高校で出会い、意気投合。大悟は「ソフトボール大会で、ふざけてバットを振り回していたら『ドミニカ出身か!』とレフトから聞こえてきて。おもろいやつがいるな、と思ったのがノブでした」
引用:朝日新聞CRAFT
高校卒業後、大悟さんは先に大阪へ出てピン芸人として活動を始めました。
その後、大手電機メーカーで働いていたノブさんを誘い、2000年7月に大阪でコンビ「千鳥」を結成します。
芸人としての道を選ぶことには周囲からの反対もあったようで、大悟さんは高校時代の先生に芸人になることを止められたエピソードも明かしています。
当時の先生からは「全校生徒の前で土下座しなさい」とまで言われたそうですが、その後、「あのとき、私を振り切って芸人になってくれたことを感謝している」と言われたそうです。
先生から「あのとき、私を振り切って芸人になってくれたことを本当に感謝しています。
引用:SmartFLASH
大悟のブレイクまでのエピソード
大悟さんがブレイクするまでのエピソードはあるのでしょうか。
千鳥として活動を始めた大悟さんとノブさんですが、ブレイクするまでにはいくつかの転機がありました。
M-1グランプリでの挑戦
2003年、結成から3年が経った千鳥は「M-1グランプリ」の決勝に初めて進出します。
初の決勝戦ではトップバッターで最下位という結果に終わりましたが、これによって知名度は大きく上昇し、大阪でブレイクするきっかけとなりました。
その後も2004年、2005年、2007年と「M-1グランプリ」の決勝に進出し、経験を積んでいきます。
また「THE MANZAI」では2011年から3年連続で決勝に出場し、2012年と2013年には準優勝という好成績を収めています。
2003年12月、『M-1グランプリ』決勝戦に出場。トップバッターで最下位に終わったが、知名度は大きく上昇し、大阪でブレイク。
引用:Wikipedia
東京進出と「いろはに千鳥」
大阪での活動が軌道に乗った千鳥は、東京進出を決意します。
しかし、東京に出てきた当初はしばらくブレイクしそうでしきれない微妙な状況が続きました。
転機となったのは2014年にテレビ埼玉で始まった「いろはに千鳥」です。
この番組は千鳥の2人が街をぶらぶら歩きながら絶品グルメを食べ、当意即妙に「いろはカルタ」を完成させていく街ブラトークバラエティでした。
この番組がきっかけでロケ芸人としての腕前やトークスキルの高さが徐々に認知され始め、2010年代後半になって遂に全国的なブレイクを果たします。
2014年にテレビ埼玉で始まった「いろはに千鳥」がきっかけでロケ芸人としての腕前やトークスキルの高さが徐々に認知され始め、2010年代後半になって遂に全国的なブレイクを果たし、2017年には「アメトーーク!大賞」を受賞した。
引用:pixiv百科事典
全国区へのブレイク
2017年には「アメトーーク!大賞」を受賞し、さらに活躍の場を広げていきました。
大悟さんの特徴的な話し方と表現力、ノブさんの的確なツッコミが多くの視聴者から支持を集め、徐々に全国区の人気者へと成長していきます。
ノブコブ徳井さんは千鳥の凄さについて「一言で言うならば、ノブさんの努力と大悟さんの自信だ」と評しています。
大悟さんは千鳥結成以前から自信に満ち溢れており、その姿勢がコンビとしての強さにつながっているのでしょう。
ノブさんの進化し続け変化を恐れない努力と、大悟さんの揺るがない面白さと自信。老若男女に好かれる二人の人柄。そして可愛らしさ。
引用:BOOKBANG
現在では、数多くの冠番組を持ち、バラエティ番組の司会や俳優としても活躍するなど、まさに時代を代表する芸人として確固たる地位を築いています。
まとめ
いかがでしたか?
千鳥・大悟さんは、岡山県笠岡市北木島という「何もない島」で生まれ育ち、高校時代に出会ったノブさんとコンビを結成。
数々の苦難や挫折を経験しながらも、持ち前の才能と努力で着実にステップアップし、全国区で活躍する人気芸人へと成長しました。
「石の島」で育った経験や、人々との触れ合いの中で培われた人間性が、独特の感性やユーモアセンスを形作り、多くの人を魅了する芸風につながっているのでしょう。
何もない島で育ったからこそ、今の大悟さんがあると言えるかもしれません。
これからも千鳥・大悟さんの活躍から目が離せませんね。
それではありがとうございました。
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