NHK「あさイチ」の司会でお馴染みの博多大吉さん。
現在では朝の顔として多くの視聴者に愛されていますが、その生い立ちには意外な事実や感動的なエピソードが隠されています。
博多華丸・大吉として「THE MANZAI 2014」での優勝、そして全国区での活躍に至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
今回は、博多大吉さんの出身地から生い立ち、そしてブレイクまでの知られざるエピソードを詳しくご紹介します。
果たして、博多大吉さんはどのような道を歩んで来たのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
博多大吉の出身地はどこ?

博多大吉さんの出身地については、実は少し複雑な事情があります。
資料によると、兵庫県神戸市出生、福岡県古賀市出身とされています。
博多 大吉(はかた だいきち)
兵庫県神戸市出生、福岡県古賀市出身。芸人仲間から大吉先生と呼ばれている
引用:Wikipedia
なぜ神戸市で生まれたのかについて、大吉さんの両親は「墓にまで持って行く」「絶対に教えない」と謎めいた理由を明かしていません。
しかし、わずか2歳の時に福岡県糟屋郡古賀町(現在の古賀市)へ移転し、そこで育ったため、実質的な出身地は古賀市と言えるでしょう。
本名は吉岡廣憲(よしおか ひろのり)で、祖父の「廣」と父の憲之の「憲」から一字ずつ取って命名されました。
現在では古賀市のふるさと大使も務めており、地元への愛着の深さが伺えます。
博多大吉の生い立ち
博多大吉さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
次のような生い立ちだったことが判りました。
厳しい幼少時代
大吉さんの生い立ちは決して恵まれたものではありませんでした。
幼少期の頃は父親が定職を持たず、仕事に就いても問題を起こして退職を繰り返していたそうです。
幼少期の頃は父親が定職を持っておらず仕事に就いても退職を繰り返していたようで、家計が苦しく
特に大吉さんが中学生の時、父親は1984年ロサンゼルスオリンピックを開会式から閉会式まで全部見て、挙句日雇いにも行かなくなったというエピソードがあります。
さらに父親は「お酒飲むと人が変わる人だった」ため、大吉さんは常に親の顔色を伺いながら過ごす子供になってしまいました。
貧困の中での学生生活
生活は非常に苦しく、朝夜の食事が白飯とセール品の明太子のみという日もありました。
給食の食パンをクラスメイトから譲り受けることもあったそうです。
高校時代の小遣いはなんと1日50円という厳しい状況でした。
学歴と運命的な出会い
大吉さんは福岡県立光陵高等学校を卒業後、指定校推薦で福岡大学経済学部に入学しました。
プロレス好きだった大吉さんは、本来ならプロレス研究会に入るつもりでしたが、なぜか福岡大学にはプロレス研究会がありませんでした。
仕方なく落語研究会に入部し、「福々亭こまんど」という高座名を持っていました。
ここで運命的に出会ったのが、相方となる博多華丸さん(当時の本名:岡崎光輝)でした。
二人ともお笑いサークルを探していましたが、お笑いサークルがなく、たまたま落語研究会で知り合ったのです。
博多大吉のブレイクまでのエピソード
博多大吉さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか?
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
芸能界デビューの決断
1990年、19歳の時に吉本興業が福岡に事務所を開設することになり、テレビ局が大学のサークルに声をかけていました。
「岡崎君と吉岡君」というコンビ名でオーディションを受け、応募総数35組で上位2組が合格のところ、二人は4位でした。
しかし人手が足りなかったため「吉本に所属しないか」と声をかけられました。
二人とも度胸がなく葛藤していたところ、長渕剛さんの「西新宿の親父の唄」を聞いて、「今しかないんだ」という気持ちになり、大学を中退(実際は除籍)して芸能界入りを決断しました。
苦難の下積み時代
デビュー後は主に福岡県を中心にローカルタレントとして活動していました。
しかし全国区での成功は容易ではなく、25歳の時には吉本福岡と地元テレビ局の間にトラブルが生じて、1年間活動を休止する事態にもなりました。
この時期、大吉さんは貧困生活が続き、消費者金融から250万円の借金を抱えるほど困窮していました。
事務所にアルバイトを禁止されていたため、内緒でレンタルビデオ店の深夜帯のアルバイトを始め、巧みなトークで延滞金を回収するなど、後の漫才の才能の片鳞を見せていました。
ブレイクのきっかけ
転機が訪れたのは2006年。
大吉さんが裏方に回って全面的にバックアップした華丸さんの「R-1ぐらんぷり2006」優勝でした。
これを機にコンビは全国的に注目されることになります。
その後、2014年の「THE MANZAI 2014」でコンビとして優勝を勝ち取り、完全に全国区の人気を獲得しました。
2015年には大吉さん個人としても「IPPONグランプリ」で優勝するなど、個人でも実力を発揮しています。
朝の顔への飛躍
2018年2月からは、NHKの朝の情報番組「あさイチ」の2代目キャスターに就任。
これまでの芸人としての枠を超えて、朝の顔として多くの視聴者に愛される存在となりました。
まとめ
いかがだったでしょうか。
博多大吉さんの人生は、兵庫県神戸市で生まれ、福岡県古賀市で育った幼少期の貧困から始まり、大学での運命的な出会い、そして長い下積み時代を経て、ついに全国区のスターへと登り詰めた感動的なサクセスストーリーです。
250万円の借金を抱えるほどの貧困生活、1年間の活動休止など、数々の困難を乗り越えてきた大吉さんだからこそ、現在の温かい人柄と確かな実力があるのでしょう。
R-1グランプリ、THE MANZAI、IPPONグランプリでの優勝、そしてあさイチのMCとしての活躍は、まさに努力の結晶と言えます。
今後も朝の顔として、そして実力派芸人として、博多大吉さんの更なる活躍が期待されます。
それではありがとうございました。
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