「いつやるか?今でしょ!」のフレーズで一躍時の人となった林修さん。
東進ハイスクールの予備校講師として活躍する傍ら、現在では多数のテレビ番組で司会を務める人気タレントでもあります。
しかし、林先生の人生は決して順風満帆だったわけではありません。
エリート街道を歩みながらも、挫折と失敗を経験し、そこから這い上がってきた波瀾万丈の人生を送ってきたのです。
今回は、林修さんの出身地から生い立ち、そして今日に至るまでの興味深いエピソードを深掘りしていきます。
果たして、林修さんはどのような道を歩んできたのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
林修の出身地はどこ?

林修さんのの出身地はどこなのでしょうか?
林修さんは1965年(昭和40年)9月2日、愛知県名古屋市で誕生しました。
出身は名古屋市千種区とされており、おとめ座のO型です。
現在60歳を迎えた林先生ですが、今なお精力的にテレビや予備校講師として活躍されています。
林 修(はやし おさむ、1965年〈昭和40年〉9月2日)は、日本の予備校講師、タレント。血液型はO型。
名古屋の名門校・東海中学校・高等学校で学ぶ
地元名古屋で育った林さんは、愛知県屈指の進学校として知られる東海中学校・高等学校に進学します。
この学校は私立の男子校で、毎年多数の東京大学や京都大学合格者を輩出する名門校です。
林さんは高校在学時に全国模擬試験で1位を獲得するなど、早くからその秀才ぶりを発揮していました。
そして現役で東京大学文科一類に合格。その後、東京大学法学部を卒業します。
林修の生い立ち

林修さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
調べてみると、次のような生い立ちであることが判りました。
祖父は日本画家、父は宝酒造副社長という華麗なる家系
林修さんの家系は非常に恵まれた環境でした。
祖父は日本画家の林雲鳳(はやし うんぽう)氏。
本名は林雄一といい、昭和時代に活躍した画家です。
森村宜稲に入門し、日本画の世界で名を馳せました。
父親は林光一氏で、なんと大手酒造メーカー・宝酒造の元副社長という経歴の持ち主。
母親も社長令嬢という、まさにブルジョア家庭に生まれ育ちました。
幼少期の教育環境が林修を育てた
林先生自身が語っているところによると、幼少期の教育環境が今の自分を作ったと言います。
特に、幼稚園の帰りに毎日のように祖父母の家に立ち寄り、そこで旺盛な好奇心を祖父母が応えてくれたことが大きかったそうです。
子供の「なぜ?」「どうして?」という疑問に対して、丁寧に答えてくれる環境があったことで、知的好奇心が育まれていったのです。
小学生時代の変化と読書三昧の日々
一方で、林少年は小学生の頃に眼鏡をかけ始め、本を読みながら菓子パンを食べる生活を始めたことで体重が急増。
12歳頃には肥満体になっていたといいます。
小学生の頃の夢はプロ野球選手だったそうですが、現実は読書好きの少年へと変化していきました。
東大卒業後の人生の選択
東京大学法学部を卒業した林さんは、当時エリート銀行として知られていた日本長期信用銀行(長銀)に入行します。
しかし、ここで林さんの人生の転機が訪れます。
入行してわずか5か月(一説には半年)で退職を決意したのです。
その理由について、林さんは「漠然とした危機感を抱いた」と語っています。
証券アナリストになる道があると思って入行したものの、その道が存在しないことが分かったこと、そして会社の将来性に不安を感じたことが主な理由だったようです。
この判断は後に的中します。
日本長期信用銀行は1998年にバブル崩壊後の不良債権問題で経営破綻し、国有化されることになりました。
林さんの先見性が光るエピソードです。
林修の今日までの興味深いエピソード

林修さんの今日までの興味深いエピソードはあるのでしょうか。
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
予備校講師への転身と苦難の時代
長銀を退職した林さんですが、その後の人生は決して順調ではありませんでした。
予備校講師に転身したものの、一時期は生徒が集まらないという苦い経験もしています。
さらに、投資会社を起業するも失敗。
株取引に手を出したり、競馬などのギャンブルにのめり込んだりした結果、なんと1800万円もの借金を抱えてしまいます。
ギャンブルと借金の日々
林さん自身、テレビ番組で「僕は借金1800万円くらいいったことがありますから」と告白し、スタジオを驚かせました。
競馬を含むギャンブルと投資の失敗で、20代の大切な時間の多くをギャンブルにつぎ込んでしまったと振り返っています。
しかし、林さんはこの経験を無駄にしませんでした。
ギャンブルで培った「流れをつかむ感覚」が後の人生で役立ったとも語っています。
失敗から学ぶ姿勢が、今の林先生を作り上げたのです。
東進ハイスクールでの成功
借金を返済しながら、予備校講師として実力をつけていった林さん。
東進ハイスクール・東進衛星予備校で現代文講師として、東大・京大コースなどの難関コースを担当するようになります。
その圧倒的な授業力と分かりやすい解説で、多数の生徒を東大合格に導き、同予備校の躍進に大きく貢献しました。
「いつやるか?今でしょ!」で大ブレイク
林さんの人生を大きく変えたのが、2013年のことでした。
東進ハイスクールのテレビCMで放った「いつやるか?今でしょ!」というフレーズが大反響を呼んだのです。
このフレーズは元々、2009年夏に「高校2年生東大現代文」の講義で、現代文を理解するには漢字の勉強が重要なのに実際に勉強する生徒が少ないため、「では漢字の勉強はいつやるか?今でしょう!」という流れから発した言葉でした。
2013年1月にトヨタ自動車のCMにも起用され、コント番組でパロディ化されるなど社会現象に。
同年、2013年度新語・流行語大賞の年間大賞を受賞し、一躍時の人となりました。
タレントとしての活躍
2013年8月10日からワタナベエンターテインメントに所属し、タレントとしても本格的に活動を開始。
現在では「林修の今でしょ!講座」(テレビ朝日系)、「日曜日の初耳学」(TBS系)など、多数のレギュラー番組を抱える人気タレントとなっています。
予備校講師とテレビタレントの二足のわらじを履きながら、知識とトーク力を武器に、10年以上にわたって人気を維持し続けているのは驚異的です。
プライベートな一面
林さんは12歳年下の産婦人科医と結婚しており、2018年には2歳になる子供がいることを番組内で初めて公表しました。
子育てにも積極的で、新聞を読み聞かせるなど独自の教育法を実践しているそうです。
趣味はメジャーリーグ観戦、競馬、シャンパン、お笑いなど多岐にわたります。
競馬は過去に借金を作った原因でもありますが、現在も競馬PRイベント「函館競馬開催日イベント 林修 当てるなら、今でしょ!」に出演するなど、楽しみ方を変えて付き合っているようです。
林修の人生哲学「負ける奴の3つの共通点」
数々の失敗と成功を経験してきた林さんが語る人生哲学に、「負ける奴の3つの共通点」があります。
それは、「情報不足」「慢心」「思い込み」の3つ。
この言葉は、自身の経験から導き出されたものでしょう。
情報をしっかり集め、謙虚に学び、客観的に判断する。
このシンプルな原則が、林先生の成功の秘訣なのです。
まとめ
いかがだったでしょうか。
林修さんの人生を振り返ると、華麗なる家系に生まれ、東大卒業というエリート街道を歩みながらも、20代では借金1800万円という挫折を味わい、そこから予備校講師として地道に実力をつけ、50歳手前で大ブレイクを果たすという、まさに波瀾万丈の人生でした。
愛知県名古屋市で生まれ育ち、祖父母の教育に恵まれた環境で知的好奇心を育んだこと。
長銀での「漠然とした危機感」を信じて早期退職を決断したこと。
ギャンブルと借金の苦しい時代を経験したこと。
そして、それらすべてを糧にして今の成功を掴んだこと。
林先生の人生から学べるのは、「失敗を恐れず、そこから学び続ける姿勢」の大切さです。「いつやるか?今でしょ!」という言葉は、単なる流行語ではなく、林先生自身の人生哲学そのものなのかもしれません。
60歳を迎えた今も、予備校講師とタレント業を両立させながら、精力的に活動を続ける林修さん。
これからも私たちに多くの知識と気づきを与えてくれることでしょう。
それではありがとうございました、

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