演技力とコメディセンスを兼ね備え、今や日本のドラマ・映画界に欠かせない存在となった賀来賢人さん。
『今日から俺は!!』や『斉木楠雄のΨ難』でのはじけた演技で多くのファンを魅了していますが、実は彼のブレイクまでの道のりには様々なドラマがありました。
華麗な家系に生まれた賀来さんが、どのようにして俳優への道を歩み始めたのか、そしてどのようにしてトップ俳優へと成長していったのか。
今回は賀来賢人さんの出身地や生い立ち、ブレイクまでのエピソードを詳しく紐解いていきます。
果たして、賀来賢人さんはどのような道を歩んで来たのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
賀来賢人の出身地はどこ?

賀来賢人さんの出身地はどこなのでしょうか?
東京都出身のサラブレッド
賀来賢人さんは1989年7月3日、東京都世田谷区で生まれました。
東京の中心部で育った賀来さんですが、その家系は驚くほど華麗なものです。
由緒正しき賀来家の血筋
賀来さんの家系は、幕末に反射炉を築き大砲を鋳造した賀来惟熊(かく これたけ)や、幕末から明治を代表する本草学者の賀来飛霞を輩出した名門です。
祖父は旧富士銀行の重役を務め、父親は「ちびまる子ちゃん」の作者として知られるさくらももこさんの担当編集者として活躍し、現在はロンドンでアーティスト活動を行う自由人だそうです。
そして叔母は女優の賀来千香子さんという、まさに芸能界とも縁のある家系なのです。
名門私立校での学生時代
賀来さんは暁星小学校から暁星中学校、暁星高等学校へと進学し、一貫して名門男子校で学びました。
暁星学園は1888年にフランス人とアメリカ人の宣教師によって開校された歴史ある学校で、多くの著名人を輩出しています。
賀来賢人の生い立ち

賀来賢人さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
調べてみると、次のような生い立ちであることが判りました。
男子校で過ごした12年間
小学校から高校まで一貫して男子校で過ごした賀来さん。
「どれだけ人を笑わせられるかを考えた12年間だった」と本人が語るように、周囲を楽しませることに情熱を注いだ学生時代でした。
この経験が、のちにコメディ俳優として開花する素地を築いたと言えるでしょう。
バスケットボールに打ち込んだ高校時代
高校時代はバスケットボール部に所属し、部活動に打ち込んでいました。
スポーツマンとしての一面を持つ賀来さんですが、部活を引退した頃、人生を変える出来事が訪れます。
偶然から始まった芸能界への道
賀来さんの芸能界デビューのきっかけは、まさに「偶然」でした。
家族写真を偶然見た芸能事務所アミューズのスタッフが興味を持ち、「この子に連絡が欲しいと伝えてください」と名刺を預けたのです。
最初は黙っていたという賀来さんでしたが、興味本位で事務所に連絡を取り、見事にスカウトされました。
叔母の賀来千香子さんが女優として活躍していたこともあり、事務所からの注目度も高かったようです。
青山学院大学での新たな挑戦と挫折
小中高と男子校だった賀来さんは、青山学院大学経営学部に進学し、初めて共学の環境に身を置きます。
しかし、男子校のノリを全開で出してしまい、新歓コンパで「ヤバい人」認定されてしまうという失敗を経験。
大学時代は友達がほとんどいない状態だったと明かしています。
この苦い経験も、後の演技の糧となっていったのかもしれません。
なお、賀来さんは俳優活動に専念するため、大学は中退しています。
賀来賢人のブレイクまでのエピソード

賀来賢人さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか?
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
2007年、17歳での俳優デビュー
賀来さんは2007年、映画『神童』で俳優デビューを果たします。
当時17歳、高校生の頃でした。
その後『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』(2008年)、『ごくせん THE MOVIE』(2009年)などに出演し、着実にキャリアを積んでいきます。
2009年、映画初主演で吐きそうに
2009年、鈴井貴之監督の映画『銀色の雨』で映画初主演を務めます。
浅田次郎原作のこの作品で、父親を亡くした家庭で育ち葛藤する青年役に挑戦。
しかし、初主演のプレッシャーは相当なもので、「吐きそうになった」と後に語っています。
賀来さん自身も「ターニングポイントになった」と語るこの作品で、俳優としての新たな一歩を踏み出しました。
なかなか訪れなかったブレイク
デビュー後、映画やドラマで主演を務めるものの、なかなかブレイクには至りませんでした。
舞台などで腕を磨く日々が続き、俳優としての実力を地道に高めていく時期が続きます。
福田雄一監督との運命的な出会い
賀来さんのキャリアにおいて最も重要な転機となったのが、福田雄一監督との出会いです。
『勇者ヨシヒコと魔王の城』『スーパーサラリーマン左江内氏』などの福田作品に出演し、コメディ演技のセンスを磨いていきました。
福田監督は賀来さんの才能を見抜き、次々と作品に起用していったのです。
2017年『斉木楠雄のΨ難』でコメディ俳優としてブレイク
2017年公開の映画『斉木楠雄のΨ難(さいなん)』で、賀来さんはついにブレイクを果たします。
主演の山崎賢人さんを食うほどの怪演を見せ、映画も興行収入10億円を記録する大ヒット。
この作品でコメディ俳優としての地位を確立しました。
福田雄一監督作品での経験が、ここで一気に花開いたのです。
2018年『今日から俺は!!』で大ブレイク
そして2018年、ドラマ『今日から俺は!!』で主人公の三橋貴志役を演じ、完全なるブレイクを遂げます。
金髪のツッパリで、どんな手を使っても勝てばいいという破天荒なキャラクターを演じきり、6年ぶりの連続ドラマ主演作は大ヒット。
伊藤健太郎さんとの息の合った掛け合いも話題となり、2020年には劇場版も公開され、興行収入30億円を超える大成功を収めました。
この作品の成功により、賀来さんは30歳にしてメジャー俳優としての地位を確立。
その後も『半沢直樹』『花子とアン』『TOKYO MER』など、数々のヒット作に出演し、日本を代表する俳優の一人となりました。
まとめ
いかがだったでしょうか。
賀来賢人さんは東京都世田谷区出身で、由緒正しき賀来家の血を引く華麗な家系に生まれました。
暁星学園で男子校時代を過ごし、青山学院大学に進学するも俳優活動のため中退。
2007年に17歳で俳優デビューを果たしたものの、すぐにブレイクすることはなく、地道に舞台などで実力を磨く日々が続きました。
そんな賀来さんの転機となったのが、福田雄一監督との出会いです。
2017年の『斉木楠雄のΨ難』でコメディ俳優としてブレイクし、2018年の『今日から俺は!!』で完全なる大ブレイクを果たしました。
偶然のスカウトから始まった俳優人生は、努力と才能、そして運命的な出会いによって、トップ俳優への道へと繋がっていったのです。
現在は妻の榮倉奈々さんと2人の子どもに恵まれ、2022年9月からはフリーランスとして新たなキャリアをスタートさせています。
これからの賀来賢人さんの活躍にも、ますます期待が高まります。
それではありがとうございました。

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