「キョンキョン」の愛称で親しまれ、1980年代を代表するトップアイドルとして活躍した小泉今日子さん。
現在も俳優、歌手、プロデューサーとして第一線で活躍する彼女ですが、その出身地や生い立ち、そしてブレイクまでの道のりには、どのようなエピソードがあるのでしょうか。
今回は、小泉今日子さんの原点と、トップアイドルへの階段を駆け上がった軌跡を詳しくご紹介します。
果たして、小泉今日子さんはどのような道を歩んできたのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
小泉今日子の出身地はどこ?

小泉今日子さんの出身地はどこなのでしょうか?
小泉今日子さんは、1966年2月4日に神奈川県厚木市で誕生しました。
厚木市は神奈川県の中央部に位置する、自然豊かで落ち着いた環境の街です。
小泉さんは厚木市立三田小学校、厚木市立睦合中学校を卒業し、その後神奈川県立津久井高等学校に進学しましたが、芸能活動のため中退しています。
地元・厚木への思い
小泉さんは生まれ育った厚木について、インタビューで「原点はやっぱり家族」と語っており、故郷への愛着を深く持ち続けています。
後年、厚木市で講演会を行うなど、地元との繋がりを大切にしている姿が印象的です。
小泉今日子の生い立ち

小泉今日子さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
調べてみると、次のような生い立ちであることが判りました。
裕福な家庭で育った幼少期
小泉今日子さんの実家は、父が経営者を務める5人家族でした。
姉が2人おり、小泉さんは三女として生まれました。
幼少期は裕福な生活を送っていたと言われています。
14歳で迎えた転機と一家離散
しかし、小泉さんが14歳の頃、父親の事業が失敗してしまいます。
この出来事により、一家は経済的に厳しい状況に陥り、夜逃げ同然で家を離れることになったと言われています。
この経験は、小泉さんの人生観や価値観に大きな影響を与えたと考えられます。
中学時代の活発な性格
厚木市立睦合中学校時代の小泉さんは、活発で明るい性格が目立っていたそうです。
一方で、反抗期らしい一面も見せていたと伝えられています。
家庭の状況が変化する中でも、持ち前の明るさと強さを失わなかったことが、後の芸能界での活躍に繋がっていったのかもしれません。
小泉今日子のブレイクまでのエピソード

小泉今日子さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか。
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
「スター誕生!」での合格が芸能界入りのきっかけ
小泉今日子さんの芸能界入りのきっかけは、1981年1月(放送は2月1日)、15歳の時に出場した日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』でした。
友人に勧められて何となく受けたというこのオーディションで、小泉さんは石野真子さんの「彼が初恋」を歌い、見事グランプリを獲得。
複数の芸能事務所からオファーを受け、石野真子さんが当時所属していたバーニングプロダクションに入ることになりました。
デビュー曲「私の16才」とデビュー当初の苦戦
1982年3月21日、16歳の誕生日直後に「私の16才」で歌手デビューを果たした小泉さん。
しかし、デビュー当初は、松田聖子さんを筆頭とする「聖子ちゃんカット」が全盛期の時代。
小泉さんも同様のヘアスタイルで、なかなか個性を発揮できない状況が続きました。
デビュー1年目は「新人レース」でも苦戦し、思うような結果を残せませんでした。
運命を変えた「まっ赤な女の子」とショートカット
転機が訪れたのは、1983年5月にリリースされた5枚目のシングル「まっ赤な女の子」です。
小泉さんは自らの意思で「聖子ちゃんカット」からショートヘアにイメージチェンジを決断。
この曲では、作曲家の筒美京平さんが初めて小泉さんのために楽曲を書き下ろしました。
「まっ赤な女の子」はオリコンチャート8位にランクインし、小泉今日子の初ブレイク作品となりました。
この曲は小泉さん初主演のドラマ主題歌としても使用され、ショートカットの新しいイメージと相まって、一気に注目を集めることになったのです。
ブレイク後の快進撃
髪型を変えたことで個性を確立した小泉さんは、その後「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」などヒット曲を連発。
1984年には『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、「なんてったってアイドル」(1985年)、「学園天国」(1986年)などの代表曲を次々とリリースしました。
俳優としても崔洋一監督の映画『十階のモスキート』(1983年)でデビューし、歌手と俳優の両面で活躍するトップアイドルへと成長していきました。
まとめ
いかがだったでしょうか。
小泉今日子さんは神奈川県厚木市で生まれ、幼少期の家庭環境の激変という試練を経験しながらも、15歳で「スター誕生!」に合格して芸能界入りを果たしました。
デビュー当初は苦戦したものの、17歳の時に思い切ってヘアスタイルを変え、「まっ赤な女の子」で大ブレイク。
自らの意思で個性を確立し、トップアイドルの座を掴み取った彼女の姿は、多くの人々に勇気と感動を与えました。
現在も変わらず第一線で活躍し続ける小泉今日子さん。
その原点には、故郷・厚木での経験や、困難を乗り越えてきた強さがあるのです。
これからも彼女の活躍から目が離せません。
それではありがとうございました。

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