草刈正雄の出身地はどこ?生い立ちとブレイクまでのエピソードをリサーチ!

1970年代から現在まで長きにわたり日本の芸能界で活躍を続ける草刈正雄さん。

資生堂のCMで一躍スターダムにのし上がった彼の知られざる生い立ちや、ブレイクまでの波乱万丈なエピソードを詳しく探ってみました。

苦労人として知られる草刈さんの半生には、多くの人に勇気を与える感動的な物語がありました。

最後まで楽しみに読んでください。

目次

草刈正雄の出身地はどこ?

出典:音楽ナタリー

草刈正雄さんは1952年9月5日、福岡県京築地域(現:行橋市)で生まれました。

その後、同県小倉市(現:北九州市小倉北区)昭和町で育ち、ここが彼の出身地として知られています。

草刈 正雄(くさかり まさお、1952年〈昭和27年〉9月5日 )は、日本の俳優、モデル、歌手、司会者、タレント。

福岡県京築地域(現:行橋市)生まれ、同県小倉市(現:北九州市小倉北区)昭和町出身。身長185cm、血液型はO型。左利き。

引用:Wikipedia

身長185cmという恵まれた体格と、アメリカ人の父親を持つハーフとしての端正な顔立ちは、後に彼を芸能界のスターへと導く大きな要因となりました。

血液型はO型で左利きという特徴も持っています。

九州男児らしい骨太な精神力と、国際的な血筋が織りなす独特の魅力が、草刈さんの俳優としての幅広い表現力の源泉となっているのかもしれません。

草刈正雄の生い立ち

出典:スノーレコード

草刈正雄さんの生い立ちは、決して恵まれたものではありませんでした。

父親はアメリカの軍人でしたが、草刈さんが生まれる前に朝鮮戦争で戦死してしまいます。

そのため、生まれた時から母親一人に育てられる母子家庭で育ちました。

母親は後に父親の写真を焼いてしまったため、草刈さんは現在に至るまで実の父親の顔を知らないという悲しい現実があります。

母親は雑貨の卸会社に勤務していましたが、経済的には非常に厳しく、六畳間ひと間の部屋で母子二人が暮らすという貧しい生活でした。

母親は非常に厳格で、草刈さんが悪いことをすると「あんた何しよんね!」とバットを持って追いかけてくるほどでした。

草刈さん自身も「よそで『親か警察か先生、どれを呼ぶか』と聞かれて『おふくろだけはやめてください』と言ったくらいです」と振り返っています。

小学生の頃から新聞配達をして家計を助け、中学時代には牛乳配達も始めるなど、幼い頃から働くことの大切さを身をもって学んでいました。

ハーフであることでいじめを受けることもありましたが、当時は「バービー」の愛称で親しまれていました。

草刈正雄のブレイクまでのエピソード

出典:NHK

草刈正雄さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか。

調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。

高校時代の転機

経済的な事情から、草刈さんは福岡県立小倉西高校の定時制課程に進学し、昼間は本のセールスマンとして働きながら夜に学校に通うという生活を送っていました。

営業マンとしては優秀で、歩合給だけで当時の大学卒の初任給以上を稼いでいたといいます。

高校2年生の時、人生を変える大きな転機が訪れます。

アルバイト先のスナックのマスターから「モデルになってみないか」と勧められたのです。

母親も「あんたの好きにしていいよ」と背中を押してくれ、1969年に17歳で上京を決意しました。

運命の資生堂CM

上京後、都立青山高校の定時制課程に編入した草刈さんは、1970年に資生堂の男性化粧品ブランド「MG5」のCMに抜擢されます。この抜擢は偶然の産物でした。

「当時CMに出ていらした団時朗さんの弟分を探していたらしくて、すでに決まっていると聞いたんですが、それでもとりあえず顔見せに出かけたわけです」と草刈さんは振り返ります。

当時CMに出ていらした団 時朗さんの弟分を探していたらしくて、すでに決まっていると聞いたんですが、それでもとりあえず顔見せに出かけたわけです。

引用:家庭画報

そこには天才と呼ばれていた大巨匠、杉山登志ディレクターがたまたまいて、カメラテストを受けることになりました。

10日後、「お前に決まったぞ」という連絡が入り、草刈さんの人生は一変します。

一躍スターダムへ

資生堂「MG5」のCMでの鮮烈なデビューの反響はすさまじく、東京に憧れたわけでもなく野心を秘めていたわけでもない小倉出身の17歳の青年が、一躍日本中にその顔と名前を知られることとなりました。

「『セブンティーン』みたいな女の子の雑誌にも出るようになって」と当時を振り返る草刈さん。

しかし、「女性の肩を抱くみたいな動きがどうにもぎこちなくて、よく怒られました。モデルの才能はないなと思いました」と正直に語っています。

俳優への転身

1974年に映画『卑弥呼』で映画デビューを果たし、本格的に俳優としてのキャリアをスタートさせます。

映画『卑弥呼』で映画デビュー。

引用:オリコンニュース

 20代にはドラマや映画で次々と主役を担うようになり、ルックスを生かしたかっこいいヒーロー像が人気に拍車をかけました。

特に1977年のテレビドラマ『華麗なる刑事』での活躍は印象的で、二枚目俳優としての地位を確固たるものにしました。

まとめ

いかがだったでしょうか。

草刈正雄さんの出身地である福岡県北九州市での貧しい母子家庭での生い立ちから、偶然の出会いによる資生堂CMでの大ブレイクまでのエピソードは、まさに現代のシンデレラストーリーといえるでしょう。

幼い頃から新聞配達や牛乳配達で家計を支え、定時制高校に通いながら働き続けた草刈さんの努力と、それを支えた厳格な母親の愛情。

そして、スナックのマスターという恩人との出会いが、一人の青年の人生を大きく変えました。

現在72歳となった草刈さんは、近年『真田丸』や『なつぞら』などの話題作で再ブレイクを果たし、演技派俳優として新たな魅力を見せ続けています。

苦労人としての経験が培った人間味溢れる演技は、多くの視聴者の心を掴んで離しません。

草刈正雄さんの人生は、どんな境遇にあっても諦めずに努力を続けることの大切さを教えてくれる、感動的な物語なのです。

それではありがとうございました。

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