近年、演技力の高さで多くの話題作に引っ張りだこの俳優・松坂桃李さん。
『新聞記者』では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞し、現在は『御上先生』で話題を集めています。
しかし、そんな彼がどのような環境で育ち、どのようにして俳優への道を歩み始めたのか、意外と知られていない部分も多いのではないでしょうか。
今回は、松坂桃李さんの生い立ちから家庭環境、そしてブレイクまでのエピソードを詳しくリサーチしてみました。
果たして、松阪桃李さんはどんな道を歩んで来たのでしょうか。
最後までゆっくりと読んでくださいね。
松坂桃李の生い立ち

松阪桃李さんの生い立ちはどんな生い立ちだったのでしょうか。
松坂桃李さんは、1988年10月17日に神奈川県茅ヶ崎市で生まれました。
現在36歳となる彼の本名も同じく「松坂桃李」です 。
神奈川県茅ヶ崎市出身。トップコート所属
引用:Wikipedia
彼の名前には特別な意味が込められています。
「桃李」という名前は、中国の歴史家・司馬遷の『史記』に書かれた言葉「桃李不言下自成蹊(とうりものいわざれども、したおのづからこみちをなす)」と、中国の故事「桜梅桃李」の2つに由来しています。
前者は「徳のある誰からも慕われる人」になって欲しいという父親の願いから、後者は「自分らしさを大切に」という母親の願いから名づけられました。
読み方も両親のこだわりで「とうり」ではなく「とおり」となっています 。
前者は「徳のある誰からも慕われる人」になって欲しいという父の願いから、後者は「自分らしさを大切に」という母の願いから名づけられています。
小学校時代は茅ヶ崎市立東海岸小学校に入学しましたが、変わった名前ということでいじめを受けることがありました。
机に落書きをされたり、教科書を隠されたりといった経験から、小学校4年生の時に同じ茅ヶ崎市内の松浪小学校に転校しています。
この経験により、それまで活発だった性格が内向的になってしまったそうです 。
ところが最初に入学した小学校では変わった名前だったことからイジメられて、無視されたり机に落書きされたり、教科書を隠されたりしました。
そのため小学校4年生の時に、同じ茅ケ崎市内の松波小学校に転校して卒業しています。
小学校時代は図工が好きで絵を描くことが得意だったため、当時の夢は漫画家になることでした。
また、消防士にも憧れていたそうです。意外にも、安室奈美恵さんの大ファンだったというエピソードもあります。
松坂桃李の家庭環境
松阪桃李さんの家庭環境はどんな家庭環境なのでしょうか?
松坂桃李さんは教育熱心な家庭で育ちました。
家族構成は、父親(松坂秀雄)、母親(松坂佳代子)、2歳年上の姉(あさみ)、3歳年下の妹(みほ)の5人家族です 。
父親は東京福祉大学で心理学部の講師を務める大学教授で、早稲田大学でも勤務しています。
さらに白百合幼稚園の理事も務めており、幅広い分野で活躍されています。
厳しいときは厳しく、優しいときは優しい父親で、「挨拶を大事にしろ」「謙虚に人の世話になれ」といった教えを大切にしていました。
母親は教員として働いており、白百合幼稚園の教職員としても勤務していました。
映画の宣伝活動を積極的に応援するなど、子供を支える家庭的で面倒見の良い母親だったそうです。
両親ともに教育に関わる職業で、非常に厳格な家庭だったようです。
テレビを見ながら食事をすると叱られたり、挨拶には特に厳しかったといいます。
また、小学校時代から兄弟間で当番制を設けて夕食作りを手伝わせるなど、自立心を育てる教育を受けていました 。
またテレビを見ながら食事をしたりすると叱れたとのこと。
さらに小学校時代からきょうだい間で当番制で、夕食作りを手伝っています。
興味深いのは、両親が共働きだったため、子供の頃は姉と妹と桃李さんの3人で過ごすことが多かったということです。
姉のあさみさんは非常に美人で、桃李さんが幼少期には一番強い存在だったそうです。
まるで下僕のような扱いを受けることもあったと本人が語っています。
妹のみほさんも黒木メイサ似の美人で、性格が強く、桃李さんを「お兄ちゃん」ではなく「桃李」と呼び捨てにしていたというエピソードもあります 。
さらに妹から「お兄ちゃん」と言われたことが無いそうで、呼ばれるときは「桃李」
と呼び捨てだという。
引用:VNM
松坂桃李のブレイクまでのエピソード
松阪桃李さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか。
松坂桃李さんの芸能界入りは、偶然の出来事から始まりました。
学生時代
中学校は茅ヶ崎市立松浪中学校に進学し、バスケットボール部に所属していました。
この中学校には2学年上に歌手の松浦亜弥さんも在籍しており、中学1年生の時にサインをもらいに行ったものの、事務所の方針で断られたというエピソードがあります。
松坂さんは中学1年生の時に松浦さんにサインをもらいに行っていますが、松浦さんの所属事務所が学校でサインをすることを禁止していたのでやんわりと断られています。
当時の松浦さんについて「スターってこういう輝きをする人なんだろうな、と。本当に歩くたびにキラキラした残り香が残っていく感じでした」と語っています 。
高校は神奈川県の私立相洋高校に進学しました(偏差値48)。
中学時代の友人がいない環境で、人見知りを克服し自分を出すために選んだ学校でした。
高校時代は部活動には入らず、スーパーや居酒屋などでアルバイトに精を出していました。
興味深いことに、アルバイト代の4割程度を母親に渡すという親孝行な一面もありました。
高校時代の松坂さんは意外にも目立つ存在ではなく、「クラスのなかで自分からワイワイ率先して中心になるのではなく、その仲間のひとりみたいな」地味な学生だったと本人が語っています。
バレンタインデーにもらったチョコレートはすべて義理チョコだったそうです 。
そのため松坂さんは意外にも高校時代はさほどモテておらず、バレンタインデーにもらったチョコレートはすべて義理チョコでした。
大学は産業能率大学の経営学部に進学しました(偏差値46)。
ドラマ「オレンジデイズ」にハマり、「こんな大学生活を送りたい」と思って進学したそうです。
大学時代まではなりたいものや進みたい方向も定まっておらず、「ぬるま湯に浸かっているような状態」だったと振り返っています。
運命的なオーディション
松坂桃李さんの人生を変えるきっかけとなったのは、大学2年生の時に友人に誘われて受けた「チャレンジFBモデル2008オーディション」でした。
当時はあまり芸能界に興味がなく、冗談半分でオーディションを受けています 。
デビューのきっかけは、男性ファッション誌『FINEBOYS』の専属モデルオーディションでのグランプリ受賞だった。それをきっかけに、今の事務所へ所属した。
引用:Yahooニュース
最終審査では、他の参加者がギターの弾き語りや中国語の歌を披露している中で、松坂さんはドナルドダックのモノマネを披露しました。
「絶対に落ちた」と思ったにも関わらず、なんとグランプリを受賞。
これがきっかけで雑誌『FINEBOYS』の専属モデルとして芸能活動を開始し、トップコートの養成所「Artist★Artist」へ第8期生として入校しました 。
俳優デビューと初主演
2009年、大学3年生だった松坂さんは『侍戦隊シンケンジャー』で志葉丈瑠(シンケンレッド)役を演じ、いきなり主演で俳優デビューを果たしました。
この時は大学を休学する決断をしています。
しかし、当初は俳優になろうという強い気持ちはなく、演技経験もなかったため「やらされてる感が強くて、正直きつかった」と語っています。
ところが撮影後半には役者を続けたいという気持ちが強くなり、その後の俳優人生へとつながっていきました 。
「戦隊モノって、ヒーローショー(実演)を含めると、同じ役を1年半くらい演じ続けるんです。そのおかげで、物事が続かない男に、続ける免疫力が付いた。
ブレイクのきっかけ
松坂桃李さんのブレイクのきっかけとなったのは、2012年のNHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』でした。
ヒロインの堀北真希さんの相手役として出演し、24歳でついに注目を集めるようになりました。
2012年、NHKドラマ『梅ちゃん先生』で連続テレビ小説初出演。
引用:Wikipedia
同年には映画『ツナグ』にも出演し、この作品により第36回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。
これらの作品により、松坂桃李という俳優の名前が広く知られるようになりました 。
その後、2018年公開の映画『孤狼の血』で第42回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、2019年公開の映画『新聞記者』で第43回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞し、演技力の高さが広く認められました。
まとめ
いかがだったでしょうか。
松坂桃李さんの生い立ちを調べてみると、教育熱心な家庭で育ち、小学校時代のいじめを乗り越えながら成長してきたことが分かりました。
父親は大学教授、母親は教員という学術的な家庭環境の中で、厳しくも愛情深い教育を受けてきました。
芸能界入りは友人の誘いという偶然から始まりましたが、『侍戦隊シンケンジャー』での俳優デビューから『梅ちゃん先生』でのブレイクまで、着実にキャリアを積み重ねてきました。
現在では演技力の高さで多方面から評価される実力派俳優として活躍しています。
2020年には戸田恵梨香さんと結婚し、2023年には第1子も誕生して、私生活でも充実した日々を送っているようです。
今後もその演技力で多くの作品に出演し、さらなる活躍が期待される俳優の一人といえるでしょう。
それではありがとうございました。
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