昭和から平成にかけて多くのヒット曲を生み出し、今もなお愛され続けている森高千里さん。
そのキュートな魅力と独特な歌詞センスで多くのファンを魅了してきた彼女の出身地や生い立ち、そしてブレイクまでの道のりには、どのような物語が隠されているのでしょうか。
今回は森高千里さんの知られざるエピソードを詳しくご紹介します。
果たして、森高千里さんはどのような道を歩んで来たのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
森高千里の出身地はどこ?

森高千里さんの出身地はどこなのでしょうか?
実は森高千里さんは、1969年4月11日に大阪府茨木市で生まれましたが、出身地として知られているのは熊本県です。
これには理由があります。
幼少時に一家で熊本県熊本市に移住したため、育ちは完全に熊本県なのです。
1969年、大阪府茨木市に生まれる。幼少時に一家で熊本県熊本市に移る。
引用:Wikipedia
熊本での生活は森高さんの人格形成に大きな影響を与えました。
実家の家族構成は、お父さん、お母さん、3歳年上のお兄さんと森高千里さんの4人家族で、お兄さんと一緒に遊ぶ活発な女の子だったと言われています。
興味深いことに、森高さんのお父さんが経営していた喫茶店「オレンジヒル(Orange Hill)」は、熊本の阿蘇の麓の登山道の途中、阿蘇ファームランドの先にあったことでも知られています。
この環境が、後の森高さんの自然体でのびのびとした魅力の源泉となったのかもしれません。
森高千里の生い立ち
森高千里さんの生い立ちはどのようなものだったでしょうか。
森高千里さんの生い立ちには、後のスターダムへの道筋を示すいくつかの重要なポイントがあります。
熊本県で育った森高さんは、地元の九州女学院に在学していました。
この時期の森高さんは、まだ将来歌手になることなど夢にも思わない、ごく普通の高校生でした。
しかし、運命的な出来事が彼女の人生を大きく変えることになります。
1986年の夏、当時高校2年生だった17歳の森高さんは、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」に応募しました。
このコンテストには12,000人を超える応募者がいた中で、森高さんは見事グランプリを受賞したのです。
1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞
引用:Wikipedia
このコンテストで審査員を務めていたコピーライターの糸井重里さんとCMで共演することになり、これが森高さんの芸能界デビューのきっかけとなりました。
まさに「シャレのつもりで受けた」コンテストが、人生を180度変える転機となったのです。
学業に関しては、九州女学院から東京の堀越高等学校に転校し、芸能活動と学業を両立させていました。
この時期の森高さんは、まだ自分が将来どのような歌手になるかも分からない状態でした。
森高千里のブレイクまでのエピソード
森高千里さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか。
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
デビューから苦労の時代へ
1987年5月25日、森高さんは映画『あいつに恋して』の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビューを果たしました。
しかし、この楽曲だけではまだブレイクには至りませんでした。
転機となったのはデビューから約3か月後の渋谷のライブハウスでの初ライブでした。
森高さん本人が語ったところによると、「わざわざチケットを買って足を運んでくれることが衝撃的でした」と、ファンの存在を実感した瞬間だったそうです。
わざわざチケットを買って足を運んでくれることが衝撃的でした
「17才」での大ブレイク
そして1989年、森高千里さんの運命を決定づける楽曲がリリースされます。
それが南沙織さんの名曲をカバーした「17才」でした。作詞は有馬三恵子さん、作曲は筒美京平さんによるこの楽曲を、森高さんは独自のユーロビート調にアレンジしてカバー。
これが大ヒットし、森高さんのブレイクのきっかけとなりました。
作詞家としての才能開花
「17才」のヒット後、森高さんは自身で作詞を手がけるようになります。
森高さんはほぼ全曲の歌詞を自分で手がける「作詞家:森高千里」として新たな境地を開きました。
ほぼ自身の全曲の歌詞を手がける「作詞家:森高千里」となった経緯、名曲「渡良瀬橋」の秘話を語る。
引用:マイナビニュース
1990年にリリースされた『古今東西』などの作品では、独特な視点から描かれる歌詞の世界観が高く評価され、「私がオバさんになっても」「渡良瀬橋」などの代表曲を次々と生み出していきました。
特に「渡良瀬橋」は、Billboard Japanの名曲ランキングで1位に選ばれるほどの人気曲となっています。
マルチプレイヤーとしての活躍
森高さんの魅力は歌だけにとどまりませんでした。
楽器演奏もこなすマルチプレイヤーとして、ベースやドラムなどを自ら演奏する姿は多くのファンを魅了しました。
この多彩な才能が、「森高千里」という唯一無二のジャンルを確立させたのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
森高千里さんの出身地から始まり、生い立ち、そしてブレイクまでのエピソードを振り返ってみると、一つ一つの出会いや経験が現在の森高さんを作り上げていることが分かります。
大阪で生まれ、熊本で育った森高さんが、17歳の時にポカリスエットのイメージガールコンテストで優勝したこと。
そのご縁で芸能界入りし、「NEW SEASON」でデビューしたものの、本格的なブレイクは「17才」まで待たなければならなかったこと。
そして作詞家として独自の世界観を築き上げ、数々の名曲を生み出していったこと。
これらすべてが偶然ではなく、森高千里さんの持って生まれた魅力と、それを磨き続ける努力の結晶だったのです。
現在も精力的に活動を続ける森高さんから、今後どのような新しい魅力を見せてくれるのか、ファンとしても非常に楽しみです。
1999年に俳優の江口洋介さんと結婚し、一時期は子育てに専念していた森高さんですが、現在は『森高千里2024「レッツ・ゴォーゴォー!ツアー」』を開催するなど、変わらぬ魅力で多くの人々を魅了し続けています。
それではありがとうございました。
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