現在、数多くの話題作に出演し、日本映画界を代表する若手女優として活躍している二階堂ふみさん。
2011年にはヴェネツィア国際映画祭で日本人初となる新人俳優賞を受賞し、一躍世界的な注目を集めました。
そんな彼女の出身地や生い立ち、そして華々しいブレイクまでの道のりには、どのような背景やエピソードがあったのでしょうか。
今回は、二階堂ふみさんの知られざる素顔に迫ります。
果たして、二階堂ふみさんはどのような道を辿ってこられたのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
二階堂ふみの出身地はどこ?

二階堂ふみさんの出身地はどこなのでしょうか。
二階堂ふみさんは、1994年9月21日に沖縄県那覇市で生まれました。
現在30歳の彼女は、東京出身で和食の料理人をしていた父親と、沖縄出身の母親の間に生まれた一人っ子です 。
二階堂 ふみ(にかいどう ふみ、1994年〈平成6年〉9月21日 – )は、日本の女優、タレント、写真家。 沖縄県那覇市出身
引用: Wikipedia
興味深いことに、二階堂さんの名前「ふみ」は本名で、芸名ではありません。
血液型はO型、身長は157cmです。沖縄の温暖な気候の中で育った彼女は、地元の那覇市立神原小学校に通っていました 。
二階堂ふみの生い立ち
二階堂ふみさんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
二階堂ふみさんの生い立ちには、複雑な家庭環境がありました。
両親は彼女が11歳の時に離婚し、その後は母親と二人で新しい家で暮らし始めることになります。
離婚後は母子家庭となり、沖縄出身だった母親の故郷で生活することになりました 。
「新しいお家で母と2人で暮らし始めたのが11歳。お金はある家庭ではなかったですね。お風呂もなかった」と貧しい幼少期を明かし
引用:サンスポ
映画好きの母親の影響で、二階堂さんは幼い頃から頻繁に映画館へ足を運んでいました。
この経験が後に彼女の映画女優への憧れを育むことになります。
母親との映画鑑賞は、彼女の人生に大きな影響を与えた重要な時間だったのです 。
幼い頃より映画好きの母に連れられて映画館へ足を運び、映画女優を志す。
引用: Wikipedia
当時の二階堂さんは、古着が好きで古着屋によく通っていたといいます。
そんな中で出会ったのが、芸能界への扉を開くきっかけとなるフリーペーパーでした。
二階堂ふみのブレイクまでのエピソード

二階堂ふみさんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか。
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
スカウトのきっかけ
二階堂ふみさんの芸能界デビューは、12歳の時に「沖縄美少女図鑑」Vol.4に掲載されたことから始まりました。
このフリーペーパーのグラビア写真が東京の芸能事務所のマネージャーの目に留まり、わざわざ沖縄まで駆けつけてスカウトされることになったのです 。
沖縄のフリーペーパー『沖縄美少女図鑑』に12歳の時掲載され、それをきっかけにスカウトを受け芸能界入り。
引用:タレント辞書
女優デビュー
その後、ローティーン向けファッション雑誌「ニコラ」の専属モデルとして活動を開始。
2007年には、テレビドラマ「受験の神様」で女優としてデビューを果たしました。
そして2009年、役所広司監督の映画「ガマの油」でヒロイン役に抜擢され、劇場映画デビューを飾ります 。
2009年、映画『ガマの油』でドラマデビュー。
引用:NHKアーカイブス
最大のブレイクポイント
最大のブレイクポイントとなったのは2011年の「ヒミズ」です。
園子温監督によるこの作品で、二階堂さんは第68回ヴェネツィア国際映画祭において、日本人初となるマルチェロ・マストロヤンニ賞(最優秀新人俳優賞)を共演の染谷将太さんと共に受賞しました。
当時16歳という若さでの快挙は、日本映画界に大きな衝撃を与えました 。
第68回ベネチア国際映画祭で、最優秀新人俳優賞にあたる「マルチェロ・マストロヤンニ賞」をそろって受賞した「ヒミズ」の染谷将太と二階堂ふみが9月11日、都内で受賞会見した。
引用:映画.com
この受賞により、二階堂さんは一躍世界的な注目を浴びることになります。
翌2013年には「ヒミズ」と「悪の教典」での演技により第36回日本アカデミー賞新人俳優賞も受賞し、その実力が改めて認められました。
高校進学を機に上京し、沖縄と東京を行き来していた生活から本格的に東京での活動にシフト。
その後も「私の男」「翔んで埼玉」シリーズ、最近では「VIVANT」「Eye Love You」など、話題作に次々と出演し、現在の地位を確立しています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
二階堂ふみさんの出身地である沖縄県那覇市から始まった彼女の人生は、母子家庭という複雑な環境の中でも、映画好きの母親の影響と本人の才能によって花開きました。
12歳で偶然掲載された「沖縄美少女図鑑」がきっかけとなり、16歳でヴェネツィア国際映画祭の新人賞を日本人として初受賞するという快挙を成し遂げるまでの道のりは、まさに映画のようなドラマチックなストーリーです。
現在30歳となった二階堂さんは、その独特な存在感と確かな演技力で、日本映画界になくてはならない女優として活躍を続けています。
沖縄で育まれた彼女の感性と、困難を乗り越えてきた強さが、多くの観客を魅了する演技の源となっているのかもしれません。
今後も、二階堂ふみさんの活躍から目が離せませんね。
それではありがとうございました。
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