現在の日本のドラマ界において、その名前を知らない人はいないと言っても過言ではない堺雅人さん。
『半沢直樹』での「倍返しだ!」や『リーガルハイ』での型破りな弁護士役など、強烈なキャラクターを演じることで多くの視聴者を魅了し続けています。
しかし、そんな国民的俳優の堺雅人さんも、実は長い下積み時代を経験し、数々の苦労を乗り越えてきたのです。
今回は、堺雅人さんの出身地から始まり、生い立ちやブレイクまでのエピソードを詳しく探っていきましょう。
果たして、堺雅人さんはどのような道を歩んで来たのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
堺雅人の出身地は?

堺雅人さんの出身地はどこなのでしょうか。
堺雅人さんは1973年10月14日、兵庫県神戸市垂水区で生まれました。
しかし、出生地は神戸市であるものの、実は堺さんの出身地として知られているのは宮崎県宮崎市です。
これは、堺さんが2歳まで神戸市舞子浜の団地で過ごした後、宮崎県宮崎市に移住し、高校を卒業するまでの人格形成期を同地で過ごしたためです。
兵庫県神戸市垂水区で生まれ2歳まで神戸市舞子浜の団地で過ごすが、その後宮崎県宮崎市に移り高校を卒業するまでの人格形成期を同地で過ごす。
引用:Wikipedia
宮崎県宮崎市で育った堺さんは、地元の宮崎市立国富小学校、宮崎大学教育学部附属中学校、宮崎県立宮崎南高等学校で学生時代を過ごしました。
家族構成は両親と2人の弟の5人家族で、3人兄弟の長男として育ちました。
出身地の宮崎県は、堺さんの人格形成に大きな影響を与えたと言えるでしょう。
温暖な気候と豊かな自然環境の中で育ったことが、後の堺さんの温かみのある人柄や、多様な役柄に対応できる柔軟性を育んだのかもしれません。
堺雅人の生い立ち

堺雅人さんの生い立ちはどのようなものでしょうか。
堺雅人さんの生い立ちを振り返ると、意外にも演劇とは違う道を歩もうとしていた時期がありました。
実は、堺さんは当初、通商産業省(現在の経済産業省)の官僚を目指していたのです。
官僚を目指して
高校時代の堺さんは、演劇部に所属していたものの、将来の夢は官僚になることでした。
成績も優秀で、特に恩師からは「成績が良く、演劇部での才能も突出していた」と評されるほどでした。
そんな堺さんは、1992年に早稲田大学第一文学部中国文学専修に入学します。
訪れた転機
しかし、人生には予想もしない転機が訪れます。
堺さんは官僚になるための国家公務員試験に挑戦しましたが、受験に失敗。
この挫折が、堺さんの人生を大きく変えることになったのです。
官僚の道を諦めた堺さんは、大学在学中に演劇研究会を母体とした劇団「東京オレンジ」の旗揚げに参加します。
1992年のことでした。これが、堺雅人さんの俳優としてのスタートとなったのです。
興味深いのは、この進路変更に対してご両親は猛反対されたということです。
芝居にのめり込み、3年で大学を中退。親には事後報告で勘当されたという。
安定した官僚の道を諦めて、不安定な俳優の道を選んだ堺さんを、ご両親は一時的に勘当状態にしたほどでした。
堺雅人のブレイクまでのエピソード

堺雅人さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか?
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
壮絶な下積み時代
堺さんの下積み時代のエピソードで最も有名なのが、「タンポポを食べて飢えをしのいだ」という話です。
お金がない時期、「野菜は食べないといけない」という強迫観念から、道端に生えているタンポポまで食べていたと後に明かしています。
お金はなかったけど“野菜は食べないといけない”という強迫観念があって、その辺に生えているタンポポとかも食べました」と明かした
この話は、堺さんがいかに厳しい状況の中でも俳優の道を諦めなかった強い意志を物語っています。
転機となった『新選組!』
堺さんにとって最初の大きな転機となったのが、2004年のNHK大河ドラマ『新選組!』での山南敬助役でした。
三谷幸喜脚本のこの作品で、堺さんは知性派で常に笑顔を絶やさない山南敬助を演じ、視聴者に強烈な印象を残しました。
この役での演技は、堺さんの「100通りの笑い」と言われるほど表現力豊かで、お茶の間の注目を集めることになりました。
『新選組!』での演技が評価され、堺さんは一躍注目の俳優となったのです。
真のブレイクへの道
『新選組!』での成功の後、堺さんは2008年の大河ドラマ『篤姫』で徳川家定役を演じ、さらに知名度を上げます。
そして、2012年の『リーガル・ハイ』で型破りな弁護士・古美門研介役を演じ、その独特のキャラクターと圧倒的な演技力で多くの視聴者を魅了しました。
しかし、堺雅人さんの名前を日本中に知らしめたのは、やはり2013年の『半沢直樹』でしょう。
最高視聴率45.5%を記録し、「倍返しだ!」という決め台詞は新語・流行語大賞の年間大賞を受賞するほどの社会現象となりました。
この『半沢直樹』での成功により、堺さんは名実ともに日本のトップ俳優の仲間入りを果たしたのです。
まとめ
いかがだったでしょうか。
堺雅人さんの出身地は兵庫県神戸市垂水区ですが、人格形成期を過ごした宮崎県宮崎市が真の出身地と言えるでしょう。
官僚を目指していた秀才が、受験の失敗をきっかけに俳優の道へと転身し、タンポポを食べるほど苦しい下積み時代を経験しながらも、決して諦めることなく努力を続けました。
そして、2004年の『新選組!』での山南敬助役で注目を集め、『リーガル・ハイ』、『半沢直樹』と立て続けにヒット作に出演することで、国民的俳優へと成長していったのです。
堺雅人さんの成功は、単なる偶然ではなく、長年の努力と挫折を乗り越えた結果だということがよく分かります。
現在も『VIVANT』などの話題作に出演し続ける堺さんの今後の活躍が、ますます楽しみですね。
それではありがとうございました。
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