元HKT48のメンバーとして活躍し、現在は日本を代表するバラエティタレントとなった指原莉乃さん。
AKB48選抜総選挙で史上初の3連覇を達成し、アイドル界の頂点を極めた彼女ですが、その成功の裏にはどんな逸話があったのか気になりますよね。
そこで今回は、指原莉乃さんの出身地から生い立ち、そしてブレイクまでの知られざるエピソードを詳しく紹介します。
果たして、どんなストーリーがあるのでしょうか。
最後までゆっくりと読んでくださいね。
指原莉乃の出身地は?

指原莉乃さんの出身地はどこなのでしょうか。
指原莉乃さんの出身地は大分県大分市です。
Wikipediaによると、1992年11月21日に大分県大分市で生まれ、現在32歳(2925年5月現在)になります。
生年月日 1992年11月21日 出身地 大分県大分市 身長 159cm 血液型 O型
引用:Wikipedia
大分県は九州の東部に位置する自然豊かな県で、温泉地としても有名です。
指原さんは幼少期をこの地で過ごし、のちに芸能界入りのために上京することになります。
太田プロダクションの公式プロフィールでも、大分県出身であることが明記されており、現在も故郷への愛着を持ち続けています。
家族構成は両親と兄の4人家族で、兄は非常に優秀な人物で大分県内の進学校に通い、現在は教師をしているとのことです。
オーディションナビでは、父親も昔はアイドルに憧れていて、ジャニーズ事務所のオーディションを受けたことがあったという興味深いエピソードも紹介されています。
指原莉乃さんの父親も昔はアイドルに憧れ、ジャニーズ事務所のオーディションを受けたことがあったそうです。
引用:オーディションなび
指原莉乃の生い立ち
ところで、指原莉乃さんの生い立ちはどんな生い立ちだったのでしょうか。
指原莉乃さんの生い立ちは、順風満帆とは言えないものでした。
小学生になるまでは、ピアノが上手で明るい女の子だったものの、小学生になると大人しく目立たない少女になり、得意のピアノもやめてしまったそうです。
アイドルとの出会い
転機となったのは小学1年生の頃、オーディション番組「ASAYAN」を見て「モーニング娘。」に夢中になったことでした。
特に6期生の亀井絵里さんが「推しメン」だったそうです。
オーディションナビによると、中学生になってもアイドルへの情熱はさらに大きくなり、ハロープロジェクトの熱狂的なファンとしてアイドルイベントに通っていました。
「モーニング娘。」が所属するハロープロジェクトの熱狂的なファンとして、アイドルイベントに通っていました。
中学時代の困難
しかし、中学生時代には大きな試練が待っていました。
吹奏楽部でトロンボーンを演奏し、県大会で金賞を取ったこともある一方で、アイドル好きを良く思わない同級生たちから仲間外れにされるようになってしまいます。
不登校を経験した著名人によると、指原さんは中学生時代にいじめによる不登校を経験しており、「もう学校に来ないで」という手紙をポストに入れられたこともあったといいます。
これにより次第に不登校になり、自宅に引きこもるようになってしまいました。
いじめの手紙(「学校に来ないでください」)を受けた際も、娘の気持ちを優先し、上京をサポート。芸能界への挑戦を後押しした。
引用:ビリーバーズ
この辛い経験から、指原さんは大分県内の高校に進学する道を選ばず、上京する決意を固めることになります。
指原莉乃がブレイクするまでのエピソード
指原莉乃さんがブレイクするまでのエピソードはあるのでしょうか。
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
AKB48オーディション合格
2007年、中学時代に不登校を経験していた指原さんは、AKB48の5期生オーディションに挑戦します。
NHKアーカイブスによると、2008年にAKB48の5期生オーディションに合格し、研修生としてスタートを切りました。
2008年、「AKB48」5期生オーディションに合格。
引用:NHKアーカイブス
興味深いことに、指原さんは家族には内緒で書類を送ったところ、見事に一次審査を通過。オーディション合格を家族に打ち明けると、母親は一緒に上京するなど、家族の協力を得ることができました。
また、同時期にハロープロジェクトのオーディションにも応募していましたが、こちらは書類審査で落選したそうです。
順調なスタート
2008年3月に劇場公演デビューを果たし、8月には正規メンバーに昇格。
10月にはAKB48の10枚目のシングル「大声ダイヤモンド」で選抜メンバーに選ばれるなど、アイドルとして順調なスタートを切りました。
バラエティでの才能開花
指原さんの真の才能が開花したのは、バラエティ番組でした。
AKB48の冠番組でバンジージャンプに挑戦する企画があり、飛べなかったため「ヘタレ」と言われるようになります。
しかし、指原さんはこの「ヘタレキャラ」を活かして番組で笑いを取るなど、当時からセルフプロデュース力の高さを見せていました。
総選挙での快進撃
指原莉乃さんの最も輝かしい功績は、AKB48選抜総選挙での活躍です。オーディションナビによると、総選挙での順位推移は以下の通りです。
- 2009年:27位
- 2010年:19位
- 2011年:9位
- 2012年:4位
- 2013年:1位
- 2014年:2位
- 2015年:1位
- 2016年:1位
- 2017年:1位
2015年からは総選挙史上初めてとなる3連覇を果たし、これまで行われた選抜総選挙で最も票を集めたメンバーとなりました。
スキャンダルを乗り越えて
012年には週刊誌に恋愛スキャンダルを報じられ、HKT48へ移籍することになります。
アイドルとして致命的と思われたこのスキャンダルでしたが、指原さんはHKT48での活動でメンバーやファンの信頼を得て、2013年にHKT48劇場支配人に抜擢されます。
HKT48での活動でメンバーやファンの信頼を得て、2013年にHKT48劇場支配人に抜擢されます。
引用:オーディションなび
現在の活躍
太田プロダクションによると、2019年4月に行われた卒業コンサートでHKT48を卒業した後、さまざまなバラエティー番組で活躍しています。
現在はタレントとして数多くの番組にレギュラー出演し、プロデューサーとしても「=LOVE」「≠ME」を手がけるなど、多方面で才能を発揮しています。
アイドルグループ『 =LOVE(イコールラブ)』、『≠ME(ノットイコールミー)』のプロデュースも行う。
引用:太田プロダクション
まとめ
いかがだったでしょうか?
指原莉乃さんの人生は、大分県大分市という地方都市で生まれ育った一人の少女が、中学時代の不登校という困難を乗り越え、日本を代表するエンターテイナーになるまでの感動的なストーリーです。
出身地である大分県での家族の温かいサポート、中学時代のいじめや引きこもりという辛い経験、そしてアイドルへの憧れから始まったAKB48への挑戦。
さらには恋愛スキャンダルという大きな試練を乗り越えて、総選挙3連覇という偉業を達成し、現在もバラエティ界の第一線で活躍し続けています。
指原さんの成功の秘訣は、困難な状況でも諦めずに自分の可能性を信じ続けたこと、そして持ち前のコミュニケーション能力とセルフプロデュース力を磨き続けたことにあります。
これからも、指原莉乃さんの活躍を期待したいですね。
それではありがとうございました。
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