俳優として数々のドラマや映画、舞台で活躍する瀬戸康史さん。
端正な顔立ちと繊細な演技力で多くのファンを魅了していますが、彼がどのように俳優の道を歩んできたのか、ご存知でしょうか。
実は、芸能界入りは自身の意思ではなく、母親の夢を託されたことがきっかけだったと言います。
今回は、瀬戸康史さんの出身地から、知られざる生い立ち、そしてブレイクまでの軌跡を詳しくリサーチしてご紹介します。
果たして、瀬戸康史さんはどのような道を歩んできたのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください。
瀬戸康史の出身地はどこ?

瀬戸康史さんの出身地はどこなのでしょうか?
瀬戸康史さんは、1988年5月18日に福岡県福岡市博多区で生まれ、その後福岡県嘉穂郡稲築町(現在の嘉麻市)で育ちました。
瀬戸康史のプロフィール
◆プロフィール◆
本名:瀬戸康史
生年月日:1988年5月18日
出生地:福岡県福岡市博多区
身長:174cm
血液型:A型
事務所:ワタナベエンターテインメント引用:モデルプレス
嘉麻市は福岡市の郊外に位置する自然豊かなのどかな地域で、瀬戸さん自身も「地元を走る電車は1両編成だった」と語るほど、穏やかな環境の中で少年時代を過ごしました。
地元との深い絆
瀬戸さんは現在も地元・嘉麻市との繋がりを大切にしており、地元のPR活動にも積極的に参加しています。
地元の中学校の卒業式にサプライズで登場し、後輩たちにエールを送ったこともあり、地元愛の深さがうかがえます。
また、瀬戸さんが制作したオリジナルキャラクター「カマシカちゃん」を使った嘉麻市のPR動画も制作されるなど、地元と共同でのプロジェクトも展開しています。
瀬戸康史の生い立ち
瀬戸康史さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
調べてみると、次のような生い立ちであることが判りました。
家族構成と幼少期
瀬戸康史さんは、両親と2人の妹という5人家族の長男として育ちました。
妹の一人は、元『non-no』モデルで女優の瀬戸さおりさんです。
両親は共働きで、瀬戸さんは長男として妹たちの面倒を見る「親代わり」のような存在でした。
妹の瀬戸さおりさんは、「おばあちゃんちに預けられることもあったけれど、兄がいろいろ遊んでくれて寂しい思いをさせないようにしてくれた」と振り返っています。
目立ちたがり屋でやんちゃな少年時代
幼少期の瀬戸さんは、目立ちたがり屋でやんちゃな子供だったそうです。
習字、サッカー、水泳など様々な習い事をしており、活発な少年でした。
また、童顔で可愛らしい顔立ちから、子供の頃はよく女の子に間違われたというエピソードもあります。
小学校時代には、トラックに轢かれそうになるという危険な経験もしたとか。
進学校を目指した中学時代
中学時代の瀬戸さんは、将来の夢に向かって猛勉強し、地元の進学校である福岡県立嘉穂高等学校への進学を果たしました。
当初は獣医になりたいという夢を持っていたといい、芸能界とは無縁の将来を思い描いていたようです。
瀬戸康史のブレイクまでのエピソード
瀬戸康史さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか。
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
母親の夢を託されて芸能界へ
瀬戸康史さんの芸能界入りは、本人の意思ではなく、母親がワタナベエンターテインメントの「第2回D-BOYSオーディション」に応募したことがきっかけでした。
表現者を目指していた母親が、自身の夢を息子に託したいという思いから応募したのです。
2005年、17歳の瀬戸さんはこのオーディションで見事準グランプリを獲得。
しかし、本人は芸能界に興味がなかったため、最初は「やらされている感が強かった」と後に語っています。
17歳での単身上京と苦悩
オーディション合格後、瀬戸さんは地元福岡の高校を辞めて単身上京しました。
上京する際、母親は涙を流していたといいます。
知らない土地での一人暮らし、そして本意ではない芸能界での活動に、瀬戸さんは「毎晩泣いていた」と明かしています。
両親の涙を胸に「逃げてはいけない」と自分に言い聞かせ、覚悟を決めたのでした。
ミュージカル『テニスの王子様』でのデビュー
2005年12月にD-BOYSに加入した瀬戸さんは、2006年8月、『ミュージカル・テニスの王子様』で青春学園テニス部の菊丸英二役を演じ、舞台デビューを果たしました。
この作品は、多くのファンを持つ人気漫画の舞台化作品で、瀬戸さんの俳優としてのキャリアの第一歩となりました。
『仮面ライダーキバ』で主演、そして全国的な人気へ
瀬戸康史さんの名を全国に知らしめたのは、2008年1月から放送された平成仮面ライダーシリーズ第9作目『仮面ライダーキバ』での主演でした。
主人公・紅渡/仮面ライダーキバ役を演じ、特撮ファンのみならず幅広い層から注目を集めました。
同時期に、ドラマ『恋空』でも主演を務め、2つの主演作を同時に抱えるという多忙な日々を送りました。
この『仮面ライダーキバ』での活躍により、瀬戸さんは一躍人気俳優の仲間入りを果たしました。
当初は受け身だった俳優という仕事も、次第に「一から作る楽しさ」に目覚めていったといいます。
多彩な役柄に挑戦し続ける俳優へ
その後、瀬戸さんは映画『天使がくれたもの』(2007年)でスクリーンデビューを果たし、『ランウェイ☆ビート』(2010年)で映画初主演。
さらに、ベストセラー小説を映画化した『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(2011年)にも出演しました。
2011年からは、NHK料理番組『グレーテルのかまど』のナビゲーターを長年務めるなど、俳優業以外でも活躍の場を広げています。
近年では、三谷幸喜さんの舞台作品や、ドラマ『私の家政夫ナギサさん』『ルパンの娘』シリーズなど、コメディからシリアスまで幅広い役柄に挑戦し続けています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
瀬戸康史さんは、福岡県嘉麻市という自然豊かな環境で育ち、長男として家族を支える優しい少年時代を過ごしました。
芸能界入りは母親の夢を託されたことがきっかけで、当初は本意ではなかったものの、17歳での単身上京という大きな決断を経て、俳優としての道を歩み始めました。
『仮面ライダーキバ』での主演をきっかけにブレイクを果たし、その後は映画、ドラマ、舞台と多彩なフィールドで活躍。
2020年には女優の山本美月さんと結婚し、プライベートでも充実した日々を送っています。
最初は「やらされている感」があったという俳優業も、今では「一から作る楽しさ」を感じながら、真摯に役と向き合う瀬戸康史さん。
その真面目で誠実な人柄と、繊細かつ力強い演技力で、これからも私たちを魅了し続けてくれることでしょう。
それではありがとうございました。

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