副島淳の出身地はどこ?生い立ちとブレイクまでの興味深いエピソードをリサーチ!

NHK「あさイチ」のリポーターやTBS「ひるおび」のコメンテーターとしてお茶の間でおなじみの副島淳(そえじま・じゅん)さん。

身長195cm、トレードマークのアフロヘアで一度見たら忘れられない存在感を放つ彼ですが、その明るいキャラクターの裏には、壮絶ないじめを乗り越えてきた深いストーリーがあります。

今回は副島淳さんの出身地から生い立ち、そしてブレイクに至るまでの興味深いエピソードを詳しくリサーチしてみました。

果たして、副島淳さんはどのような道を歩んで着たのでしょうか。

最後まで楽しみに読んでください。

目次

副島淳の出身地はどこ?

出典:講演会なび

副島淳さんの出身地はどこなのでしょうか?

副島淳さんは1984年7月18日、東京都大田区蒲田で生まれました。

その後、千葉県浦安市で育ち、浦安市立美浜中学校、柏市立柏高等学校を経て、東京成徳大学日本伝統文化学科を卒業しています。

日本とアメリカのハーフ

副島さんは日本人の母親とアフリカ系アメリカ人の父親を持つハーフです。

「生まれは蒲田、育ちは千葉の浦安という中身は日本人」と自ら語るように、日本で育ち、日本文化に深く親しんできました。

大学では日本伝統文化を学ぶなど、日本への深い愛着が感じられます。

父親との複雑な関係

実は副島さんは、父親の顔を知らずに育ちました。

生まれたときは母親と祖母との3人暮らし。

後に番組の企画を通じて父親の消息を知ることになり、驚くべきことに、元プロバスケットボール選手の高橋マイケルさんが異母兄であることが判明しました。

父親は俳優のウイリー・ドーシーさんで、この家族の発見は副島さんの人生に大きな影響を与えたエピソードとなっています。

副島淳の生い立ち

副島淳さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。

調べてみると、次のような生い立ちだったことが判りました。

壮絶ないじめ体験

副島さんの生い立ちを語る上で欠かせないのが、小学生時代に経験した壮絶ないじめです。

小学4年生のときに転校した先で、肌の色や髪質といった外見の違いから、激しいいじめを受けるようになりました。

上履きや教科書を隠されたり、校庭でボールをぶつけられたりする日々が語られています。

「なぜ僕を産んだのか!」と母親を責めることもあったといいます。

母親の言葉が転機に

「学校に行きたくない」と訴える副島さんに対し、母親は「いじめに負けてほしくない。周りと違うことはいつか武器になる」と答えました。

当時は母親の言葉を受け入れられませんでしたが、この言葉が後の人生の支えとなっていきます。

「学校に行きたくない」と母に訴えました。でも、母は「いじめに負けてほしくない。周りと違うことはいつか武器になる」と受け入れてくれませんでした。

引用:読売新聞オンライン

バスケットボールとの出会いが人生を変えた

中学1年生のとき、副島さんはバスケットボールと出会います。

「それまでは『スラムダンク』でしかバスケを知らなかった」と語る彼ですが、195cmという高身長を活かし、みるみる頭角を現していきました。

中学から高校での飛躍

浦安市立美浜中学校でバスケットボールを始めた副島さんは、中学3年時には千葉県選抜に選ばれるまでに成長。

「当時はぶっちゃけ、中学卒業後は進学せず就職しようと思っていたけど、バスケの実力がついて県選抜に選ばれたことで高校に行く選択肢が生まれた」と明かしています。

当時はぶっちゃけ、中学卒業後は進学せず就職しようと思っていたんですけど、バスケの実力がついて県選抜に選ばれたことで高校に行く選択肢が生まれましたし

引用:Sportiva

全国大会出場という栄光

柏市立柏高等学校では、後に三遠ネオフェニックスでプレーする太田敦也選手とチームメイトとなり、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)やウインターカップに出場。

高校3年時には夏のインターハイでベスト8、冬のウインターカップでベスト16という成績を残しました。

バスケットボールという「逃げ場」が、いじめに苦しんでいた少年を全国レベルの選手へと成長させたのです。

大学時代もバスケ一筋

東京成徳大学に進学後もバスケットボールに打ち込み、スポーツを通じて自信と居場所を得ていきました。

この経験が、後の芸能活動における彼の明るく前向きなキャラクターの基盤となっています。


副島淳のブレイクまでの興味深いエピソード

副島淳さんのブレイクまでの興味深いエピソードはあるのでしょうか。

調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。

芸能界入りのきっかけ

大学卒業後、副島さんはモデルやタレントに興味を持ち、雑誌を中心にモデルとして活動を始めます。

所属事務所の社長に声をかけられたのがきっかけでした。

バスケットボールが再び道を開く

2008年、バスケットボール選手として映画に出演したことが芸能界入りのきっかけとなりました。

その後も、バスケットボールとの縁は続き、2018年のシーズンではアルバルク東京の応援アンバサダーを務めるなど、長く様々な仕事をいただいています。

オーディションの連続落選

しかし、芸能界での道のりは決して平坦ではありませんでした。

20代の頃は数々のオーディションに落ち続けたといいます。

身長195cmという体格とアフロヘアという外見が、時には型にはまらないと判断されることもあったようです。

「あさイチ」が転機に

大きな転機が訪れたのは2017年4月。

NHK「あさイチ」のリポーターに抜擢されたのです。

「9年前、NHKの朝の情報番組『あさイチ』のオーディションに受かったのが転機だと思います」と副島さん自身も語っています。

毎週火曜日の「スゴ技Q」「クイズとくもり」コーナーのレポーター

副島さんは毎週火曜日のレギュラーとして、視聴者に親しみやすいリポートを届けています。

出演し始めた頃は大きな反響があり、「腰が低くて良い」「面白い」といった声が多数寄せられました。

朝の情報番組という多くの世代が視聴する場で、副島さんの人柄と個性が広く知られることになったのです。

マルチな活躍へ

「あさイチ」での成功を皮切りに、副島さんの活躍の場は大きく広がります。

現在では以下のような多様な活動を展開しています。

  • テレビ出演:TBS「ひるおび」コメンテーター(隔週木曜日)、「日立 世界ふしぎ発見!」など
  • バスケットボール関連:「熱血バスケ」MC、各種バスケットボール番組出演
  • 俳優活動:映画、ドラマ、舞台への出演
  • 講演活動:いじめ克服の経験を語る講演会

「違いを武器に」というメッセージ

副島さんの講演会のテーマは「ちがいを楽しむ、オンリーワンはスペシャル」。

かつて母親から言われた「周りと違うことはいつか武器になる」という言葉を体現する形で、自身の経験を多くの人々に伝えています。

とある会社のインタビューでは、「僕は日本人で地球人」という言葉で自己を表現し、先入観に縛られない職場環境の重要性を訴えています。

プライベートでも幸せを掴む

2023年末には、一般人女性との結婚を公表。

行きつけの居酒屋で知り合った奥様との新生活に備え、一度失効していた運転免許も再取得したというエピソードも。

2025年4月には第1子となる男児が誕生し、「あさイチ」で報告するなど、公私ともに充実した日々を送っています。


まとめ

いかがだったでしょうか。

副島淳さんの人生は、まさに「違いを武器に」変えてきた軌跡です。

東京都大田区蒲田で生まれ、千葉県浦安市で育った彼は、外見の違いから壮絶ないじめを経験しながらも、バスケットボールという居場所を見つけ、195cmという体格を活かして全国大会に出場するまでに成長しました。

芸能界入り後も数々のオーディションに落ち続けた20代を経て、2017年のNHK「あさイチ」リポーター抜擢が大きな転機となり、現在では多方面で活躍する人気タレントとなっています。

かつて母親から言われた「周りと違うことはいつか武器になる」という言葉通り、副島さんは自身の個性を最大限に活かし、多くの人々に勇気と希望を与える存在となりました。

いじめに苦しむ子どもたちや、自分の違いに悩む人々に対して「逃げてもいい、生き続けてほしい」というメッセージを発信し続ける副島さん。

これからも彼の活躍から目が離せませんね。

それではありがとうございました。

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