近年、数々の話題作に出演し、実力派俳優として注目を集める山田裕貴さん。
『海賊戦隊ゴーカイジャー』から『東京リベンジャーズ』シリーズ、そして話題の大河ドラマ『どうする家康』まで、幅広いジャンルで活躍する彼の素顔に迫ります。
元プロ野球選手を父に持つという恵まれた環境でありながら、独自の道を歩んできた山田裕貴さんの生い立ちやブレイクまでの軌跡を詳しく探っていきましょう。
果たして、山田裕貴さんはどのような道を歩んで来たのでしょうか。
最後まで楽しみに読んでください
山田裕貴の出身地はどこ?

山田裕貴さんの出身地はどこなのでしょうか。
山田裕貴さんは1990年9月18日生まれ、愛知県名古屋市出身の俳優です。
現在34歳、身長178cm、血液型O型で、ワタナベエンターテインメントに所属しています。
山田 裕貴(やまだ ゆうき、1990年〈平成2年〉9月18日 )は、日本の俳優。愛知県名古屋市出身。ワタナベエンターテインメント所属。
引用:Wikipedia
興味深いのは、父親が元プロ野球選手の山田和利さんであることです。
山田和利さんは中日ドラゴンズや広島東洋カープで内野手として活躍した選手で、現在は広島東洋カープでコーチを務めています。
そのため、山田裕貴さんは名古屋と広島の両都市で育ったという背景があります。
家族構成は両親と妹の4人家族で、妹の山田麻生さんはモデルとして活動しています。
また、2024年3月31日には元乃木坂46の西野七瀬さんと結婚したことを発表し、大きな話題となりました。
山田裕貴の生い立ち
山田裕貴さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
小学校、中学校、高校時代に分けてみていきましょう。
小学校時代:野球少年としてのスタート
山田裕貴さんは名古屋市立高見小学校に通っていました。
父親の影響で小学校時代から地元名古屋市内のリトルリーグに所属し、硬式野球に打ち込んでいました。
リトルリーグの全国大会にも出場経験があるほどの実力でした。
小学校時代にはリトルリーグの全国大会にも出場したことがありました。
引用:学歴と経歴まとめ
当時は「当たり前のように自分も野球選手になるものだと思っていた」と語っており、プロ野球選手を目指していました。
しかし、小学校時代は非常にやんちゃで「悪童として知られていた」そうです。
興味深いエピソードとして、恐竜と天体が大好きで、「宇宙の仕組みはどうなっているんだろう」「宇宙人が目の前に現れたらどうしよう」などと想像を膨らませる子供だったそうです。
この独特な感性から、母親からは「宇宙人」「あなたは宇宙から来たのね」とよく言われていたというエピソードもあります。
中学時代:野球への限界を感じた時期
名古屋市立若水中学校に進学した山田さんは、名古屋市内のシニアリーグ「名古屋北シニア」に所属し、硬式野球を続けていました。
ポジションはピッチャーでしたが、全国大会常連の強豪チームでレギュラーになることはできませんでした。
この時期に大きな挫折を経験します。
「中にはりんごを握りつぶしてしまうような選手もおり、圧倒的な力の差を見せつけられた」と振り返っています。
「父親がプロ野球選手なのに、僕はなれないかもしれない。男として負けだと思ってしまった」という心境から、中学校卒業と同時に野球の道を断念することになりました。
高校時代:新たな自分の発見
父親の母校でもある東邦高校に進学しましたが、野球部には入らずバレーボール部に所属しました。
高校時代は意外にも「非常にシャイだった」そうで、初めて付き合った女の子と手をつなぐのに4か月もかかったというエピソードがあります。
高校1年生の時には「プリンス」というあだ名がつき、その後「プリン」「プリプリ」と呼ばれるようになったそうです。
高校3年生の時、同校が甲子園に出場した際には応援に行き、「試合がはじまってもいないのに涙が止まらなかった」と当時を振り返っています。
山田裕貴のブレイクまでのエピソード
山田裕貴さんのブレイクまでのエピソードはあるのでしょうか。
調べてみると、とても興味深いエピソードがありました。
俳優を志したきっかけ
山田さんが俳優を志したのは、コンプレックスからでした。
「野球選手の息子なのに結果が出せない」という状況に悩んでいた時、「野球ではダメだったが、役者でなら自分もテレビに出られるかもしれない」と考えたのがきっかけでした。
「野球ではダメだったが、役者でなら自分もテレビに出られるかもしれない」と考え、役者の道へ。
引用:タレント辞書
高校卒業後は大学に進学せず、俳優を目指してワタナベエンターテインメントカレッジに入学しました。
居酒屋や飲食店でアルバイトをしながら演技の勉強を続ける日々が続き、「志半ばで地元に帰ることはしない」と決意していたそうです。
D-BOYSへの加入とデビュー
2010年に開催された「D☆DATE新メンバーオーディション」に参加し、D☆DATEの新メンバーには選ばれなかったものの、事前投票で1位だったこともあり、急遽設けられた「D-BOYS部門」でグランプリを獲得しました。
ファイナル開催時に急遽設けられた「D-BOYS部門」のグランプリを獲得する
引用:Wikipedia
『海賊戦隊ゴーカイジャー』での俳優デビュー
2011年、21歳の時に特撮テレビドラマ『海賊戦隊ゴーカイジャー』のジョー・ギブケン/ゴーカイブルー役で俳優デビューを果たしました。
東映プロデューサーの宇都宮孝明さんは、山田さんを起用した理由について「端正な顔立ちがジョーのストイックで寡黙なキャラクターに似合っていた」と述べています。
初期は演技に苦戦し、東日本大震災も重なって無力感を感じていましたが、メイン回である第11話・第12話の撮影を経て自信を持てるようになったそうです。
子供から「将来ゴーカイブルーになりたい」という手紙をもらったことで、自身の仕事に意味があると感じられるようになったとも語っています。
ブレイクへの道のり
2012年にはテレビドラマ『ボクらが恋愛できない理由』でドラマ初主演を務め、2014年には映画『ライヴ』で映画初主演を果たしました。
2017年は映画だけで14本出演し、そのうち12本が公開されるという飛躍の年となりました。
その後、『HiGH&LOW』シリーズ、『東京リベンジャーズ』シリーズ、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』『どうする家康』、朝ドラ『なつぞら』『ちむどんどん』など、話題作に次々と出演し、実力派俳優としての地位を確立していきまし
た。
まとめ
いかがだったでしょうか?
山田裕貴さんの生い立ちを振り返ると、恵まれた環境にありながらも、自分なりの道を切り開いてきた努力家であることがわかります。
元プロ野球選手の父を持ちながら野球で挫折を経験し、それをバネに俳優の道へ進んだ彼の人生は、多くの人に勇気を与えるものでしょう。
愛知県名古屋市で生まれ育ち、幼少期は「宇宙人」と呼ばれるほど独特な感性を持っていた少年が、今や日本を代表する俳優の一人となったのです。
『海賊戦隊ゴーカイジャー』での俳優デビューから始まり、数々の困難を乗り越えて現在の地位を築いた山田裕貴さん。
2024年には西野七瀬さんとの結婚も発表し、公私ともに充実した日々を送っています。
今後も彼の更なる活躍から目が離せませんね。
演技力に定評のある山田裕貴さんが、どのような新たな魅力を見せてくれるのか、期待が高まります。
それではありがとうございました。
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